笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

北新地


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 彼に言わせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、本真(ほんま)にうまいもん食いたかったら「一ぺん俺の後へ随いて・・・」行くと、無論一流の店には入らず、・・・
 
 
 「料理の鉄人」が流行っていたのはいつ頃のことだろう。僕は中学生ぐらいからあまりテレビを観なくなってしまったので、よく覚えていない。でも、友だちがみんな観ていたから、観たことがないわけじゃない。神田川先生という日本料理の鉄人は印象深かった。面白い人だなあと思っていた。料理の腕が立つのはもちろんだけど、弁も立つ。テレビ向けのトークや振る舞いが様になっている。あの頃、料理人がある種のタレント扱いされていた。そういう振る舞いが得意な人がテレビに出ていただけかもしれないけど。でもそのせいで、「その料理、本当においしいの?」なんていう風にも僕は思っていた。

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 その神田川先生の店が、大阪の北新地にある。
 大阪の商社に勤めている高校時代の同級生がいて、「神田川の店が新地にあるから、行ってみようぜ」と誘われ、暖簾をくぐったことがある。その時にはもう、神田川と言われてもピンとこなくて、「銭湯か?」なんて首をかしげたら、「ほら、料理の鉄人に出てた、日本料理の人」と説明されて、やっと何のことだか理解した。
 あまり気取ったところのない、素直な感じの店だったと記憶している。料理はおいしかった。僕たちが、普段居酒屋でしているのと変わらないアホ話ばかりしているのが申し訳ないような、素敵な料理だった。
 びっくりしたのは、全部の料理が済んだ後だった。
 さっきまで給仕をしてくれていたのとは違う、年配の調理服の男性が僕たちの席にあがってきて、今日の来店の礼を丁寧に述べた。声は、どちらかと言えば低くて、聞き取りにくいぐらいで、あまり面は上げず、僕たちが料理を褒めるとしきりに恐縮していた。僕の席からはあまり人相が見えず、誰だか分からなかったけど、多分、厨房の偉い人とか店のオーナーとかが、わざわざ挨拶に来てくれたのだなということだけは理解できた。そしてその調理服の男性は、席の雰囲気を壊さない程度の時間だけ話をすると、どうにも居づらそうな感じで下がっていった。
「おお、神田川やったで・・・」
 僕を招待した友人がうめくように言い、僕は「えっ、マジで?」と目をむいた。
 なぜ驚いたかと言えば、テレビで観る神田川先生と、今の男性とが、全然違うようにしか見えなかったからだ。態度が全然違う。テレビの神田川先生は自信と茶目っ気にあふれるショーマンじみた陽気な料理人だけれども、今この席にやってきた調理服の男性は、職人気質の不器用さだけが目立つ素朴な人物だった。鉄人の称号を胸にブラウン管(当時のテレビはまだブラウン管で、しかもアナログ放送だった)の中で包丁を振り回していた神田川先生には見えなかった。

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 テレビで観る面白おかしい神田川先生と、新地で出会った朴訥とした料理人の神田川氏の、どちらが本当の神田川さんなのかは、僕にはよく分からない。表があれば裏があるのだし、光には必ず影がつき添う。だから、どっちが本当なんて言えない。