笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

大阪駅②


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 島に住んでいると、演劇を観ることなんて、せいぜいが本土の県庁所在地に行くか、母やその友達に連れられて宝塚の公演を観にいく程度で、そんな時は、本当にそれだけで一日がかりのお出かけになる。
 
「島はぼくらと」 辻村深月 講談社文庫

 

 神戸に住んでいると、とりわけ三宮あたりが便利なところに住んでいると、わざわざ大阪に行く機会は多くない。でもやっぱり、大阪の方が街の規模が大きいし、催し物も選択肢が多い。特に、大きな舞台公演やコンサートは、東京と大阪でしかやらないっていうパターンになりがちだ。だから、どうしても観たい舞台が大阪でしか開催されない時は、電車に乗って出かける。
 初めて大阪まで脚を運んで観た舞台は、劇団四季の「オペラ座の怪人」だった。
 高校生の時、ブラスバンド部の友だちが、「ブラスの仲間で大阪にミュージカルを見に行こう」と誘ってくれた。当時はまだ、劇団四季の常設の劇場が大阪にはなかった頃だと思うから、遠征公演だったのではなかろうか。僕はミュージカルに興味をもったことはなかったのだけど、せっかく誘われたのだし、ミュージカルの観劇を経験してみるのも悪くないと思って、誘いに乗ることにした。そういうわけで、ブラスの同級生数人つれだって大阪に向かった。
 そのとき通っていた高校は姫路のちょっと手前にあって、ブラスの仲間も加古川高砂、稲美なんかに住んでいる子が多かった。彼らが大阪まで行こうと思うと、実家が神戸市内の僕の倍も時間がかかる。「遠いでしょ」と僕が言うと彼らは、「電車に乗れば姫路も神戸も大阪も京都も同じ」と返事した。僕は、わざわざ電車に乗って盛り場に出るという感覚がなかったので、「ふうん」と実感のわかない返事をしたのを覚えている。僕はてっきり、彼らにとって大阪はすっかり馴染みの街で、僕は誘いに乗っかりさえすれば自動的に「オペラ座の怪人」までたどり着けるものと思っていた。でも実は、彼らだってそんなに度々大阪に行ったことがあるわけではなかったのは、後で知れるのだけど。

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 そのとき、僕は初めて、大阪駅を子どもだけで歩いた。なんてわかりにくい街なんだ、というのがまず、大阪の第一印象だった。
 僕たちは、乗車する電車をそろえるように約束して、それぞれのJR最寄り駅から大阪に集まり、ホームで落ち合うことにしていた。まだ携帯もPHSも普及する少し前の時代だったし、ポケベルが流行していた頃だったけどベルなんて誰も持っていなかった。一応は全員が約束通り大阪に着いたけれど、広いホームと経験したことのない人混みのせいで、集合するのに一苦労だった。それから、劇場への移動がまた大変。東京で言えば渋谷駅とか新宿駅みたいに多層化された大阪駅は、初心者にはとにかく方角がつかみにくい。
 「大阪に来たことあるんじゃないの?」と僕が苛立ち半分に友だちに言うと、「まあ、何回かはね・・・」「僕は親と二回、いや一回かな・・・」なんて頼りない応えがかえってくる。なんだ、みんな大阪初心者なんじゃないか。
 あてになるようなならないような構内の案内表示に振り回され、あっちでもないこっちでもない、開演に間に合わないと苛立って言い争いながら、僕たちはやっと劇場にたどり着いた。ずいぶん時間がかかったような気がした。僕はすごく疲れた。正直、この時点では、「舞台の途中で、ぜったい寝るな・・・」という自信があった。

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 僕はこの日、初めてちゃんとした観劇のための劇場というものに足を踏み入れた。
 僕は高校生の頃、クラシックが好きで、オーケストラのコンサートを何度か聴きに行ったことはあったのだけれど、コンサート向きのホールの客席が比較的なだらかな傾斜をもっているのに対し、演劇に特化した劇場の傾斜は舞台をよく見えるようにするために角度がきつい。着座すると僕は、体が舞台に向かって転げ落ちていくのではないかという錯覚を起こした。不快だったのではなくて、僕にとってはそれが、とにかく新鮮な感覚だった。何か、今まで経験をしたことのない特別なことが始まるのだという予感で、僕はどきどきした。大阪駅のとらえどころのなさへの苛立ちや、道に迷った疲れなんて、もうどこかへすっとんでしまっていた。
 「オペラ座の怪人」はすごかった。最初のオークションの場面、そしてオペラ座と怪人にまつわる口上があって、客席の真上をシャンデリアが通過していく演出。僕はもう、シャンデリアに灯りがともったその瞬間に、魔法にかかったみたいに舞台に惹きつけられてしまった。小学校や中学校で、観劇をする授業があったから、舞台で劇のライブを観る機会は何度かあったけれど、こいつはあんなもんじゃない、本物のエンターテインメントっていうのはこれかと、心揺さぶられた。夢中になって観ていると、いつの間にか舞台は閉じていて、まだ耳の奥で怪人の奏でるオルガンががんがんと響いているのに、僕たちは大阪の街に放り出されてしまっていた。寝る暇なんてなくて、あっという間だった。あっという間、というのは、こういう風に過ごした時間のことをいうのだと、僕はその夜、初めて知ったような気がする。
 劇場から駅に向かって帰る時は、行きにあれだけ迷ったからかえって街の構造が頭の中に入っていて、スムーズに駅にたどり着くことができた。大阪の街が少し小さくなったように僕は感じていた。

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 今はもう、大阪にもかなり慣れた。携帯やスマホの普及と進化のおかげもあるけれど、電子機器に頼らないでも、大抵の場所には迷わずにたどり着くことができる。大阪は小さくなった。もちろん、フィジカルな意味での大阪の街が小さくなるなんてことはない。僕が変わったのだ。そして大阪駅だって、おおまかな構造が自分の頭のなかにしっかり収まってしまえば結局、何のことはない、ただの大きなターミナル駅にすぎなかった。
 当時の劇団四季の公演は、専用の劇場ではなくて、丸ビルあたりにあったシアターでの地方公演だっと思う。今は専用の劇場があるようだ。また観に行きたいな。子どもがもうちょっと大きくなったら一緒に行こうか、それとも完全に手が離れてから妻と行こうか。そのとき、頭が白くなるか寂しくなるかした僕の目に、大阪の街はどんな風にうつるだろう。