笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

新神戸


f:id:sekimogura:20211020235027j:image

 

 用事があって新神戸に来た。新幹線に乗るためではなく、別の用事。体調を悪くしてからあまり出かけなくなったが、自分で済まさなければならない用事は出かけるしかない。用事はすぐに済んだ。で、せっかく来たので、ANAクラウンプラザとコトノハコの中を少し散歩した。

 静かだなあ。神戸文学館みたいだ。

 いやいや、ダメでしょ。仮にも、神戸の陸の玄関口のひとつですよ。これだけ大きいハコモノが、この静かさって、ちょっと問題ありませんか。
 店がないから人がいないのか、人がいないから店がないのか、とにかく空きテナントばかり。営業している(らしい)店もあるのだけど、客はおろか、店員の姿も見えない。どうなってんの? ゴーストタウン?
 ANAクラウンプラザ、かつては新神戸オリエンタルホテルといった。出来たのは多分、僕が小学生ぐらいの頃だと思う。その時にすぐ山側のロープウェイも営業を開始して、祖母に連れられてそのできたてのロープウェイに乗った記憶がある。山麓バイパスの出口の脇にあるエスカレーターを上ってすぐのところにある東屋は当時アイス屋さんで、そこで食べたシャーベットはおいしかった。
 そのアイス屋さんは、すぐに閉店してしまって、中学生ぐらいの頃に小遣い握りしめて買いに行ったら、もうなかった。あれは予兆だったのかも知れない。
 神戸の大地震の数年後、新神戸オリエンタルホテルのロビーで発砲事件があった。その事件の後、家族から「あそこ行ったらあかんで、鉛玉飛んでくるで」みたいに言われた。言われたのだけど、予備校生だったころ、僕は新神戸の地下にあった喫茶店でアルバイトしていた。おそろしく暇な喫茶店で、アルバイトながら「この店はやっていけているのだろうか」と心配になったものだ。そして僕は翌年度、横浜の大学に進学し、帰省で帰ってきたときに昔を懐かしんでその働いていた店に顔を出そうとしたら、もうその店はなかった。
 横浜では十数年暮らして、当たり前だが新幹線で帰省する度に新神戸を使った。年々寂しくなっていく新神戸を、僕は見ていた。新神戸オリエンタルホテルはいつの間にか、ANAクラウンプラザと名称を改めた。家族が当たり前のように新神戸のあの建物をANAクラウンプラザと呼んでいて、横浜から帰省した僕は一体どこの建物のことだか分からなくて問い返し、変な顔をされたことを覚えている。そうか、変わったのか。ちょっとはにぎやかになるのかな。その時そんな風に思ったものだけど、結局、何も変わらなかった。
 地下にあった「アシーネ」という本屋がなくなったときは、さすがにちょっとショックだった。その本屋は、実家に帰省した僕が暇つぶしに読む本をよく買っていた店だったのだ。数年前まではまだあったように記憶しているのだけど、いつの間にか空きテナントになっていた。

 新横浜の駅もそうなのだが、JRの幹線と直接つながっていない新幹線の駅は、どうもにぎわいに欠ける。横浜は人口も多いし、首都圏のビジネス利用もあるから、新神戸ほど寂しくはないが、でもなんとなく、横浜線的なもの悲しさを感じる駅である。その寂しさ、もの悲しさは、新神戸駅にふくすきま風とよく似ていると僕は思う。
 これは僕の個人的な意見なのだが、新横浜も新神戸も、なんというか、「人工の駅」って感じがして、よくない。いやいや駅って人工的なものでしょ、と仰るかもしれないが、賑やかな駅って、もともと街道との交差点だったり大きな街だったりするところに立地するものなんだと思う。そして、そういうもともとの土地の歴史や人の自然な流れを無視して通した新幹線の線路上に無理矢理作った駅って、やっぱり結局、人が集まらないものなのだ。だから、そういう場所に人を集めようとすると、相当工夫しなければならないのだろう。

 新神戸に何の工夫もないかと言えば、そんなことはない。インバウンドを見込んだ神戸らしい店もオープンしているし、空きテナントには服飾や飲食にこだわらず、色々な店舗ができたりしている。ただ、それでも寂れていってしまうのは、何かこう、ひと匙足りないに違いない。
 ひと匙・・・それが何なのか、申し訳ないけど僕に何かアイデアがあるわけではない。でももし、その力があったりその立場にあるひとが、そのひと匙に気づいたら、新神戸ももっと賑やかになるだろう。
 コロナが収束したら、新神戸もちょっとは賑やかになるだろうか。賑やかになったら、空きテナントがうまって面白いお店が増えるだろうか。増えて欲しい、増やして欲しいな。そして、アイス屋さんと本屋さんをぜひつくって欲しい。もう一度、ね。