笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

コロナウィルス


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おとーさんげんきですか。ぐやいわるいですか。ぼくわげんきでやつてます。これなつやすみのしくだいでえにつきです。いつかうみにいつたね。きれいくてたのしくておぼいだすといつもわらえます。またいつかいくよね。おとなになたら。いつかぼくがおとーさんのことつれててあげれるね。 ちひろ
 
「いつか海に行ったね」 久美沙織 祥伝社文庫

 

 コロナウィルスが流行している。
 ここ二ヶ月くらいずっと、テレビをつければ必ずコロナウィルスの話題だ。身近な人に感染者はいないが、僕の生活にも影響はある。マスク売ってない。ティッシュ売ってない。花粉症の僕としては致命的な事態だ。小学校と幼稚園が休みになって、ずっと子どもが家にいるのも、なかなかしんどい。行事はすでにいくつも中止になった。卒業式だとかコンサートだとか・・・すでに中止になったものは仕方がないとして、こういう事態がいつまで続いていつから平常通りの活動ができるのか、不安だ。

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 街も、いつもより人通りが少ない。先だって、用事があって大阪に行き、帰りがラッシュアワーにぶつかったのだけど、神戸方面へ向かう新快速はさほど混雑していなかった。テレワークや時差通勤が多少は効果を発揮しているのかもしれない。ただやっぱり、何となくいつもと空気感が違って、僕の気持ちはざわざわしてしまう。

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 いつもより静かな街を見て思い出すのは、2011年の東関東大震災だ。
 震災のあった当日、僕は横浜市中区の職場にいた。地震の事後処理もあって遅くまで職場にいた。職場を離れたのは午後九時ぐらいだっただろうか。JRが完全に停まってしまったので、神奈川区の自宅まで二時間歩いた。関内、みなとみらい、横浜駅東口を通る間、身動きとれないほどぎっしり車のつまった車道を横目に「えらいさわぎだな」と感心していた。そのときはまだ、そんなことに感心できるぐらい、情報がなかったのだ。携帯はとにかくつながりが悪かったのだけど、ポートサイドあたりを歩いている時に、東京駅あたりの会社に勤めていた妻とやっと連絡がとれ、「バイクで迎えにきて」と言うから、自宅に着くなりヘルメットを被った。国道一号線をすりぬけで東京方面へ走ったが、いつもならすり抜けなんて難しくも何ともないのだけど、この夜はすり抜けも困難なほど車が詰まっていて、多摩川で力尽きた僕は妻に断りの電話を入れて引き返した。家に着いて近所のラーメン屋で空腹を鎮め、眠ったのは夜明け前だったと思う。震災当日の街は、クラクションと排気ガスと帰宅難民で、とにかく騒がしかった。
 翌朝、残務処理のためにバイクで職場に出た。昨夜の騒ぎはどこへやら、通りには一台の車もなく、スムーズに出勤すると、自宅が遠いために最後まで残っていた職員があくびで僕を出迎え、入れ違いに帰って行った。
 年の瀬のように静まりかえった街が奇妙だったのをよく覚えている。

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 東関東大震災の翌朝の、あの静けさに、今の街の活気のなさが重なる。あの頃も、身近なんだか遠い場所のことなんだかよくわからない原発事故の放射能に、漠然とした不安を抱えながら、なんとかいつも通りの日常を遂行しようと、自分の中のおびえと戦っていた。いつも通りの生活を続けようとすることで、恐怖に耐えていた。静かな街を通るたび、ざわざわと胸の奥で騒ぎ出す不安。それってきっと、僕だけじゃない。誰かが叫びだしたら、きっと僕も悲鳴をあげるだろう。

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 仕事を終えて帰宅すると、退屈しきった子どもたちが玄関の僕に駆け寄ってくる。いつもなら公園に連れ出すのだけれど、今日は百均で買ってきた暇つぶしアイテムで子どもの相手をする。元気な子どもは家に閉じ込めておくものではないと思いつつも、こういう状況だとどうしても、外出をひかえることになってしまう。公園なら大丈夫かなという気持ちと、公園に行く回数はちょっと減らそうかという気持ちが、僕の中で決着点を見いだせないでいる。正直、公園に連れ出す方が楽だ。でも今は耐えよう。子どもも困っているし、頑張っている。僕たち親がくじけるわけにはいかない。
 音楽仲間にお医者さんがいて、「風邪かな、ぐらいだったら、クリニックに来ないでください」と言っている。診察を拒否したり放棄したりしているのではない。もしその患者が感染者で、その自覚なく受診して、その結果医者や看護師が感染してしまうと、クリニックが閉鎖になってしまうのだ。街の病院や医院がすべて感染によって閉鎖してしまったら、医療の最前線が崩壊する。彼は、戦い続けるためにこう言っているのだ。そしてきっと、そう言っているお医者さんやその家族こそが不安で仕方ないだろう。
 みんな戦っているんだなあと思う。僕にできることは何だろう、と工作やごっこ遊びに熱中している子どもたちを見ながら考える。とにかく、子どもたちに不安を感じさせないでウィルス騒ぎの収束を待つこと。僕にできるのはそれぐらいかもしれないけど、今はとにかく、それに全力を注ごう。