笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

「You'd Be So Nice To Come Home To」って、なんて意味?

f:id:sekimogura:20240414071058j:image

 

 十数年ぶりにアルトサックスを手に入れたので、練習をしている。
 テナーはずっと吹いているので、そちらであれば標準的な音域は何の問題なく吹けるけど、だからといってアルトが十分に吹けるかと言えばそうはならないのが、同属楽器の難しいところだ。
 なので、まずは基礎練習から始めている。
 any keyで、メジャースケールと3つのマイナースケール、そして長短のペンタトニックをさらう。丁寧に取り組むとこれだけで30分ほどの時間がかかるのだけど、アルトに不慣れなのと、おそらくは病気のせいもあって、これだけでほぼ体力が尽きる。ここで、リード交換をしながらすこし休憩。僕のブログを読んで下っている方は「レジェールなら換えなくていいんじゃないの?」と思われるかもしれないが、先だって、疲労のせいでもうろうとしながらマッピを咥えようとしたら、リードに歯をあててしまい、レジェールを一枚ダメにしてしまった。大損失。なので、アルトを吹く体力が戻ってくるまでは、生リードで練習をすることにした。で、話をもどすと、休憩の後はメカニルフレーズや、コンディミ、ホールトーンなどの練習を行う。これを終えると、僕の体力はほぼSOLD OUT。
 本当はこの後に、オーバートーンやハーフタンギングの練習もいれたいのだが、体力が切れると同時に集中力もなくなるので、これ以上やっても意味がない。ただ、基礎練習だけでトレーニングが終わってしまうと、モチベーションが維持できないので、最後に少し曲をさらうのがいつもの流れだ。

 吹くのは、昔取り組んだことのある曲が中心だ。最近は「You'd Be So Nice To Come Home To」をよく吹いている。
 アルトで演奏する「You'd Be So Nice To Come Home To」は、アート・ペッパーがマイルスのリズムセクションと吹き込んだ音源が有名だろう。ていうか、他に知らない。そう書くと「いやいや、誰々が何年にどこどこで吹き込んだあの録音が・・・」なんてジャズマニアのおじさまに怒られるんだろうけど、知らんもんは知らん。そういうのは、これから覚えていくから、ちょっと待ってて。
 で、まあ、曲はよく知っているのだけど、吹いていて、ふと思った。「You'd Be So Nice To Come Home To」って、なんて意味なんだろう?

 よく「帰ってくれてたらうれしいわ」なんて邦題をよく聞くけど、うーん、それでもよく分からない。で、ネットで調べてみるとどうやら、「これから帰る家に、あなたが待っていてくれたらいいのに」というのが本義のようだ。全然違うじゃない? 待つ方と帰る方の立場が完全に逆転している。なんでこんな邦題になった? 日本語としての口馴染みは邦題の方がいいけど、意味が違いすぎて混乱してしまう。
 邦題のことはともかくとして、それでもやっぱり、英文の方の意味もなかなか掴みにくい。仮定法なのは分かるけど「You'd be nice ・・・」をどうとらえればいいのか、高校生までの英語学習の範囲では理解が難しい。多分、口語的な表現なんだろう。あなたがナイスなのに・・・? なんじゃそりゃ。ジャズリリックの邦訳サイトでは、例えば「If you had be home when I came back, it would be so nice.」のような形に書き換えて解釈している。ふーん、字面は全然違うけど、それなら意味は分かる。分かるが・・・こんなに書き換えてしまって、本当に意味は同じなのか?

 これは「You'd be ・・・」に限った話ではなく、他の曲にもこういうの、いっぱいある。歌詞全体を見渡し、作品の全景や、その歌が作られた時代背景なんかも理解しないと、歌が表現しようとしているシーンや心情が理解できない。その歌が歌われていた当時の、英語圏の人には多分、すぐに表現の内容が理解できたのだろうけど、日本語話者で未来在住の僕が意味を理解するためには、多少の努力や誰かの手助けが必要だ。難しい。
 で、仮定法で「あなたが待っていてくれたらいいのに」と述べているのだから当然、カノジョ(カレ)は待っていないわけで、カレ(カノジョ)にとってはナイスでもなんでもないわけだが、Eマイナーで始まった曲が紆余曲折経た後に、最後は平行調のGメジャーに解決して終わるのがこの曲の面白いところだ。ハッピーじゃない予想を笑い飛ばしているような、そして顔で笑って心で泣いているような、強がりで、ナイーヴなところが、いい。

 そういうのを、できればアドリブでも表現してみたいと思う。まあ、勉強も練習も全然足りないのだけど、そういう風にできたらいいな。
 昔、僕のサックスの師匠が「元のメロディを越えるアドリブができたらもう音楽やめてもいい」と言っていたのを思い出す。それってきっと、誰にも越えられない高みなんだろうね。でも、越えるつもりで勉強や練習をしないと、どこにも行けないんだろう。

 4月は、桜が咲いた頃に冷え込みが戻り、僕はまた強い倦怠感にヤラレている。ええい、どうにかならんのか、この体。