笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

慢性疲労症候群、なかなか改善しません。

f:id:sekimogura:20231004082122j:image

 

 慢性疲労症候群を発症して、2年以上たつ。生活の活動量を大幅に抑制し、漢方薬を服用することで症状を回避しながら生活している。体調には波があるが、症状が重く出るタイミングで無理をしなければ、現在の日常生活に支障はない。
 体調の波に周期性はない。しかし、1~2ヶ月に一週間から10日程度、しんどい期間がある。波がくるときには、予兆として精神的な落ち込みがあって、何となく、前向きな気分でいられない日が続く。
 ちょっとしたことでクヨクヨしたり、理由もないのに気分が落ち込む時は、要注意。そろそろ波がくるぞ、という注意報だ。こういう時に無理をしてはいけない。平常心を心がけ、やりすごす気構えが大事。波が来たけど頑張ってみようか、とか、そういうのは、ナシナシ。絶対にいけません。後で辛い目にあう。
 なんていうかさ、自然災害みたいなもんなんだよ、慢性疲労症候群の症状って。台風とか地震とかさ、ああいうのと、一緒。くるなって言ったって、くるもんはくる。回避できない。だから、できるだけの備えはしておいて、あとは災害が過ぎるのを待つ。原始的なメソッドだが、他にやりようがないのだ。
 ポイントは、心身の逃げ場を作っておくことかな。心には、「仕方ない」っていう諦めのカードを持っておくこと。体には、休みたい時には休める体制を作っておくこと。

 しっかし、良くならねえなぁ、慢性疲労症候群
 根本的には、罹患当初から状況は改善していないように思う。打てる対策は全部とって、症状をやり過ごしながら生活しているだけで、症状自体に改善はない。この変化のなさがまた、心を削る。つらい。
 見た目には健康そうに見えるっていうのも、心削られるポイントのひとつなかな。別に、健康そうに見えること自体はなんでもないのだけど、回りには「病気なんです」っていうのを分かってもらいづらいよね。あの、ヘルプマークっていうやつ、もらおうかどうか悩んでいるのだけど、仕事場でアレつけてるのもなんか変だし、移動くらいなら誰かに助けてもらったり遠慮してもらったりする必要もないので、今のところ、ナシですませている。もらったほうがいいのかなあ? 自分ではよく分からない。いや、もらいなさいよ、ってお医者さんなんかが言ってくれればもらうのだけど。

 この歳になって病気になって思うことは、若くて健康だった頃には、若くも健康でもない人の気持ちなんて分からなかったなあ、ってこと。
 人間ね、やっぱり、経験がすべてなんだな。経験したことはよく分かるし、共感できる。でも、経験したことないことでは、本当には理解できないし、寄り添おうとしているつもりでも、寄り添えない。
 だからね、こういう風になって、時には理解のない人からつらく当たられることもあるけど、「ま、しゃーねーな」って感じる。自分もかつてはそうだったから。で、ちょっとしんどい時に手を差し伸べてくれる人がいると、心の底からありがとうって思う。うーん、そういう意味では、病気になってみて、よかったかも。
 そういうワケで最近、怒るとか苛立つってことが、少なくなったように思う。そりゃあ、全然ないってわけじゃないよ? 瞬間的に、反射的に、イラッとくることはある。ただその、苛立ちの収束する先が、怒りや恨みじゃなくて、許容や諦めや感謝になった。

 そういうわけで、病気になってみて、いいことも悪いこともあり、結局トントンなのかな、なんて感じる。でさ、ここから治ったら、マイナスがキャンセルされて、病気したことがプラスになるはず。そういう風にしたいよね。うん、是非そうしたい。
 そんなことを考えながら、今日もブラックホールのような疲労感を腹に抱えつつ、何とか生きている。あーしんど。