笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

半夏白朮天麻湯

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 暑いせいか、この夏も、どうも調子がよくない。
 去年も7月は具合が悪く、難儀した。今年はさらにひどい。月末あたりからめまいがしはじめ、それが8月になっても治らない。眼振でグルグルまわるタイプのめまいではなく、酒に酔っているようなぼんやりとした頭重感のあるめまい。ちょうど薬をとりにいくタイミングだったのでそのことをドクターに相談したら、「別のお薬も追加で出しましょう」と仰って下さった。
 半夏白朮天麻湯(ハンゲビャクジュツテンマトウ)。
 Wikipediaによれば半夏とは、カラスビシャクの根茎を乾燥させたもののことらしい。カラスビシャク・・・何だそれは。知らないなあ。初めて聞いたぞ。そういう植物があるのか。写真を見ても「あれのことか!」みたいな感じにはならない。わからん。見たことないような、見たことあるような。少なくとも僕には、そのへんに生えている雑草との見分けはつかない。
 今までいくつかの種類の漢方薬を試し、はっきり効くものもあれば、どうも効果が感じられないものもあった。今回の半夏白朮天麻湯、どうだろう、効くだろうか。疑う気持ちはないけど、あまり期待もしないで飲んでみた。すると、クラクラするようなめまいが、少し軽くなった。大したもんだ。

 現代も飲まれている漢方薬というものが、いつの時代から存在するのか、僕は知らない。きっと、ずっと昔からあるのだろう。これは想像だが、何十年、何百年もの間、祈祷や呪いの類いに関わるシャーマンのような人が、「この草のここんところを、こういう風にして飲ませると、ああいう病気のやつには効くみたいだ」みたいな経験を伝えていく中で、徐々に方法や調合が確立されていき、最終的に固定した配合が、漢方薬なんじゃないかな。そして、そうやって長い時間をかけて成立した技術の恩恵を、今、僕がうけている。ありがたいことだと思う。人間ばんざい、医学ばんざい。
 しかし、人類とともに何千年、何万年もの歴史を歩んできた医学でさえ、すべての病を駆逐することはできない。そこに、人体の底知れなさ、生命の不思議さも感じる。すべての概念は、その対立概念を必要とするが、病とは健やかさの対立概念であり、病なくして健やかさはなく、健やかさなくして病もない。とすると、人間というものが世に存在する限り、生命というものが宇宙にある限り、病もまた決してなくならないのだろう。

 病をなくすことができないならば、僕にできることは、病と手を取り合って生きていくことだけだ。これ、なんだろうな。嫌いなクラスメイトと同じ係活動になってしまって、でも仕事だけはとにかくやんなきゃいけないから、仕方なく協力する、みたいな感じかな。要するに、うまくやる、ってことが大事なんだろう。仕方ないね。

 夏はまだまだ長い。ああでも、暦の上ではもうすぐ秋だな。はよ涼しくならんかな。日は少し短くなってきた。日暮れが以前より早い。虫の声が聞きたい。