こんなよい月をひとりで見て寝る
尾崎放哉
尾崎放哉という俳人のことを、最近知った。
自由律俳句などというものを、僕は中高生の頃に習っただろうか。習った記憶がない。しかし今は、中学校の教科書にこの放哉の「咳をしてもひとり」だとか山頭火の「分け入つても分け入つても青い山」なんかが載っている。・・・そんなの習ったっけ? やっぱり、記憶がない。
その尾崎放哉という人、須磨寺にいたことがあるそうだ。へえ、そんなの知らなかったよ。
須磨寺は二年ほど前に一度訪れている。しかし、その時は俳句にも放哉にも興味はなかった。でも、須磨寺に放哉の句碑があると知ったので、見るためにもう一度行ってみることにした。
句碑を探しながら境内を歩くこと10分、あったあった、放哉の句碑。お堂の真ん前につったっている。結構立派な句碑だ。じっと眺めていると、右下に井泉水の名前が刻んであることに気づいた。井泉水の書を句碑にしたのだろうか。
放哉は須磨寺に一年弱いたようだ。ここで放哉が月を見たり漬物石を運んでいたりしたのかと思うと、何だか感慨深い。放哉は須磨寺を出た後、一度京都に戻り、それから終の棲家となる小豆島へ移っている。須磨滞在は短かったが、ここにいた頃に読んだ句は多い。僕は、境内のそこここに放哉の幻影を探しながら歩いた。あれ、蕪村の句碑もあるぞ? 蕪村も須磨寺に縁があったのかな? まあ、あってもおかしくないだろう気はする、芭蕉だって来ているのだから。芭蕉は「笈の小文」に、この須磨寺近くの鉄拐山に上ったと記録している。句聖・芭蕉の足跡をたどるのは俳人の習いだ。蕪村・・・来たのかなあ、今度調べてみよう。
俳句詠みは旅好きだ。そういう訳で近頃、僕は俳句詠みのことが好きになった。自分ではまだ詠まないけれど、詠んでみようかな。ええと・・・ちょっと待って、僕はまだ覚悟が足りない、すぐには句が出てこないよ。詠むのは、また今度。
芭蕉、蕪村、一茶、山頭火、放哉・・・あと井月もいいね。特に放哉と井月は好きだ。孤独が研ぎ澄まされている。どうして僕はこう、社会の枠組みの外に出たがる人たちに惹かれるのかな。国も時代も違うけど、酒樽に住んだ哲人・狂ったソクラテスことディオゲネスも昔から好きだ。
しかし、放哉の句が教科書に載って、それを中学生が学んでいるっていうのは、恐れ入った。中学生はこの句をどう思うのだろう。先生たちはこの句を、どう教えるのだろう。興味深い。ただ単に「俳句には有季と無季、定型と自由律があります。放哉は有季の自由律です」ってだけじゃ、子どもも満足しないと思うのだけど。その授業、一度うけてみたい。