笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

季語「山笑う」に思う/街はいつ笑うのか?

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 ラジオをかけていたら、春の季語「山笑う」をイメージしたサウンドスケープの放送をしていた。日本の、いくつかの山村で録音された春の音が流れた。なかなか面白い。春の音を録音して番組にしてしまおうという発想も斬新だし、そもそも「山笑ふ」という季語が面白い。なるほど、春だ。

 

 木の芽や木の花に包まれる春の山を、朗らかに笑う人の姿になぞらえる。

「角川 季寄せ」 角川学芸出版(編)

 

 「山笑う」という季語を季寄せはこのように説明している。なるほどなあ、山は春になると笑うのか。じゃあ海は笑うのかな、と思って索引を調べてみたけど、「海笑う」という季語は掲載されていなかった。でもなんとなく、夏なんか海が笑っててもおかしくないような気がするんだけどな。
 山、海ときて、どちらも自然のものなので、じゃあ街はどうだろうとページを繰ってみた。しかし、そもそも「街」で始まる季語がない。うーん、なるほど、年がら年中おんなじような顔つきでつったってるビルには季節も何もないってわけか。
 本当に、街に固有のもので、季語になりそうなものはないのだろうか。例えば「クーラー」なんて季語だと思うんだけど。ああでも、クーラーなんて今時田舎でもあるか? そもそも、街を街たらしめる要素って何だろう。ターミナル駅? 県庁? 人混み? 繁華街? どれも季節関係ないなあ。
 そういや、都会の、都会らしい風景って、それ自体は季節によって変化しないんだよね。都会で過ごしている人も、寒ければマフラーを巻くし、暑ければ日傘を差すけれど、この場合はマフラーや日傘が季語なのであって、都会人自身は季節と関係なく、オフィスに出勤してくるわけだし。そう考えると、街に関係する季語がないのも、何となく納得だ。
 しかし、納得はできても、なんだか寂しいなあ。都会に住んでいても人間は、その都会の中で四季を感じながら生きているのだから、都会らしい季語がひとつやふたつあってもいいと思うのだけど。今年は、そんな都会の季語を探しながら過ごしてみようかな。
 さあ、春がくるぞ。山笑え、海笑え、街もついでに笑え。