笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

祇園神社


f:id:sekimogura:20210407224215j:image

 

 有馬街道の登り口に、祇園神社がある。
 用事があって大倉山に来て、湊川神社により、それでもまだ少し時間があったので、この祇園神社にも立ち寄った。寺社仏閣が特別に好きなわけではないが、土地の神様にご挨拶しておくのは悪いことではないと思っていて、時間がある時には面通しをするように心がけている。
 このあたりは、平家の屋敷のあった土地らしい。土地の由来を紹介する看板やら銅像やら道祖神やらがあちこちにある。掘ればいくらでも遺跡が出るそうだ。さぞマンションは建てにくかろう。僕が歩く道の左右には、平屋かせいぜい二階建ての戸建てが並んでいる。
 神戸は、大阪湾と六甲山地に挟まれた細長い街だ。海から山へ向かって坂を上っていくと、道は突然、緑の壁にぶつかる。緑の壁は、六甲山地を形成する断層面。切り立った花崗岩の山には木々がへばりつくように生い茂っている。祇園神社は市街地と山地の境界線にあり、鳥居と境内を急斜面を刻んだ石段の参道がつなぐ。
 火消しの梯子のような階段を上ったところで振り返ると、神戸の街と港が一望できる。爽快だ。かすんだ空気に日差しが乱反射して、街全体が光に包まれているように見える。今はほぼ正午だが、日が沈んだ後に来たら夜景がきれいかもしれない。境内には満開の桜が咲き誇っていた。美しい。

 ここから街を見下ろしてみて、神戸というのは本当に細長い街だなあと思う。何もこんなに狭いところに山と海に押しつぶされるようにして住まなくてもいいじゃないかなんて考えてしまう。でも人は、ずっとこの土地に住んできた。参道から海の方へと伸びる道をまっすぐ行けば、そこには輪田の泊があったはず。それは海上交通の重要な中継点であり、また陸路の街道との連結点でもあった。きっと、貿易に関わる人が昔から大勢暮らしていたことだろう。
 去年から続いているパンデミックの影響でテレワーク化がすすみ、都会を離れる人が増えているそうだ。どうだろう、神戸の人口も少しは減ったのだろうか。それとも、中規模都市のよさが見直されて逆に増えたのだろうか。神戸の人口は95年の震災で激減し、それ以前の水準にはまだ回復していないと聞いたことがある。調べたわけじゃないので本当かどうかは知らない。あまり減るのも困るが、これ以上街が過密になるのも困るなあ。土地が広がらない以上、居住区は垂直方向に伸びるしかないわけだから、人口が増えれば当然マンションが建つ。マンションが建つと、どうしても眺望や景観が悪くなる。神様はきっと、そのようには望んでおられまい。

 ここからの眺めはとてもいい。できればこのまま、いい眺めが守られるといいのだけど。千年前のままにとは言わないが、せめて今のまま、海の見渡せる神戸の街であってほしいものだ。


f:id:sekimogura:20210407224232j:image

f:id:sekimogura:20210407224244j:image

f:id:sekimogura:20210407224313j:image

f:id:sekimogura:20210407224328j:image

f:id:sekimogura:20210407224340j:image