笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

デジタル一眼レフ


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 僕がカメラに興味を持ち始めた頃はちょうど、レフ機とミラーレス機が入れ替わろうとしている転換期だった。APS-Cの入門機を買うにあたって、レフ機にするべきかミラーレス機を選ぶべきか、かなり悩んだのを覚えている。
 数年のうちにカメラは基本ミラーレスになるんだろうな、と思いつつ、結局ニコンのD5300というレフ機を選んだ。理由はいくつかあるのだけど、そのうちのひとつは、もし近々ミラーレスが主流になるならレフ機を選べるチャンスは今しかないんだろうなと思ったこと。
 D5300の購入からもう五年以上経過した今では、僕の予想通り、どのカメラメーカーもミラーレス機に軸足をおいている。そしていまだにレフ機をラインナップの中心にしているのはペンタックスだけで、ニコンキヤノンもレフ機のアップデートには消極的だ。おそらく現在カタログに掲載されているモデルの他に新機種が発表されることはあるまい。僕も、今度APS-C機を買い換えることがあれば、レフ機は選ばないだろう。機能的な側面ではもはや、ミラーレス機に対してレフ機が優位に立てる場面は、ほぼない。
 しかし、レフ機をレリーズしたときに手のひらに感じるミラーショックは好きだ。写真を撮る上では邪魔になる振動なのかもしれないが、いかにも「写真撮ってます」って感じがしていい。ミラーレスやコンデジでは味わえない手応えである。

 こういう機械モノは、新しい技術が主流になっていくと、古い技術のマシンはどんどん削除されていく。そして、どんなに完成されたメカニズムをもっていても、淘汰されてしまう。それは仕方のないことだ。技術というものは、そうやって進歩を重ねてきた。
 でも、古い機械には、その機械なりの味わいってものがあって、その味わいってやつは何となく、「はいサヨナラね」とあっさり捨ててしまえないものだ。オーディオの世界に真空管アンプやアナログレコードを好む人がいまだにいる事実が、その証明である。
 どうだろう、一眼レフは時代が過ぎても生き残れるだろうか。フィルムカメラはまだ需要があるようだが、デジタル一眼は所詮、デジタルだしなあ。MDやLDのように消えてしまうのか、それとも機械式腕時計のように本来の用途とは別の価値観によって生き残るのか。僕としては、操作感のいいミドルグレード機がひとつぐらいラインナップに残っていてくれると嬉しいのだけど。そしたら、孫が出来た時にでも買ってみたいな。そして、ミラーショックの手触りを感じながら、撮影を楽しみたいな。