笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

東川崎町

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 Z2のエンジン音が、浩史の顔や声、なにげない仕草を、加奈子のなかに呼び覚ました。それと一緒に、浩史の背中にしがみついてバイクに乗っていたときの、後ろへ後ろへと流れていく景色や風の感触、さらには空気の匂いまでもが、あざやかによみがえる。
 このバイクに乗るのは、淳子ではなくてわたしだ。
 唐突にそう思った。
 
「虹色にランドスケープ」 熊谷達也 文春文庫

 

 神戸人だって、東川崎町と聞いても「それどこ?」なんて首をかしげるだろう。でも、川崎重工のあるところと応えれば、ああなるほど、とうなずいてもらえると思う。
 昭和の神戸は重工業の街だった。今でも播磨沿岸部には川崎重工神戸製鋼の工場や関連企業が立ち並ぶ。僕がまだ子どものころには、下請けのさらに下請けをしているような工場が街のあちこちにあって、長い長いバネみたいな金属の削りカスがドラム缶いっぱいに積んである風景や、加工機械の作動音、機械油やガスの匂いが日常の中にあった。今はもう、そういう小規模な工場が平屋や文化住宅の間に並ぶ町並みは、鉄道沿線にはほとんど見られない。
 

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 JR神戸駅兵庫駅のちょうど間ぐらいをまっすぐ海の方へ歩いて行く。一直線の道路の向こうには、もう移動式のクレーンと、川崎重工のビルが見えている。しばらくは神戸沿岸部によくあるような郊外の住宅地の風景が続く。若い頃、バイクが好きで日本のあちこちを旅したけれど、この風景は神戸独特かもしれない。ほかの土地と何が違うのか、と問われると明確に応えることはできないのだけれど、市営住宅の構造とか、巨大トレーラーが通行する事を前提とした幅広の道とか、そういうのが全部一緒くたになっているのが、神戸っぽいのかもしれない。
 

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 僕にとって、カワサキと言えばバイクだし、バイクと言えばカワサキだ。ホンダやスズキも乗ったけど、基本、僕はずっとカワサキのバイクに乗っていた。僕が学生の頃、カワサキがレトロスポーツのW650を発売して、僕は強烈に憧れた。すぐに中型免許を取ったけれど、中免(400cc未満までの免許)では650ccには乗れないし、発売直後で中古の値段もまだこなれていなかったW650には乗れなかった。学生時代は古い水冷の400ccに乗り、就職して収入が安定してから憧れのマシンを中古で手に入れた。一度、スズキに浮気したけれど、なんだかしっくりこなくて、またカワサキに戻った。
 首都圏から近畿圏までの間は、ほとんど旅した。けど本州を出た事はない。仕事が忙しくて長い休みをとることができなかったし、音楽もずっと続けていたから。ツーリングと言えば北海道。いつか北の大地を風切って走りたいと思ってはいたが、どうせ行くなら自走だなんてこだわっているうちに、子どもがふえてから乗る時間が少なくなり、全然乗れないのに車検にお金を払うのが馬鹿馬鹿しくてバイクはついに手放してしまった。
 今でも、そこいらに停まっているバイクを見ると、旅の風の匂いを懐かしく思う。また乗りたい気持ちはある。乗れるのかと不安にもなる。ただ、今は子どもと過ごす時間が最高に楽しい。売ったバイクは、カメラと自転車にかわった。満足はしている。でも、車の脇をすりぬけていくバイクのテールランプをみると、吸い込まれてしまいそうな気持ちになる。
 

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 近頃はバイクが売れないらしい。バイクを作るのが、いい商売じゃない時代になったようだ。でも、そのうちまた買うからさ、ちょっと頑張ってよカワサキさん。リターンライダーのために、小排気量のスポーツバイクを用意しておいてくれるとうれしいな。