笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

多井畑八幡神社にもう一度。


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 今年は僕にとって厄年であった。四月の転職と同時に謎の体調不良。休職して治療しつつ検査をすすめるも原因は分からず、復職後にもう一度倒れて、退職。原因は今でも分からない。現在は、療養に専念している。
 本来の厄年は二年前だった。その時は、僕自身には何も起こらず、実に平和な一年であった。しかし、本厄も後厄も終わったはずの今年は、何一ついいことがなかった。
 それでも、年の瀬も近づいてきてやっと、少しずつではあるが体調が元に戻りつつある。年が去るのと共に、僕にふりかかった災厄も終わりを迎えようとしているのかもしれない。
 大変な一年だった。しかしそうだとしても、命に関わるような病ではなく済んだのは幸いだったのかなあ。今は、もうしばらくの間体を労りつつ体力の回復に努めれば、また元気になりそうな気がしている。厄は厄でも、小厄ぐらいで済んだのだろうか。
 厄で思い出すのは、多井畑厄神だ。確か冬に行ったよなあ・・・と思ってブログの過去記事を繰っていくと、二月初旬に訪問したことを書いていた。あのときは、まさか今年がこんな一年になるとは想像もしていなかった。しかし、不意にお参りする気になったのは、ひょっとしたら虫が知らせたのかも知れない。だとしたら、厄に襲われた一年だったにせよこの程度で済んだのは、厄神さんのおかげだろう。

 お願い事が結願したら、お礼参りをするのが礼儀というものだ。運動をかねて、多井畑厄神をもう一度参拝することにした。
 以前ジョリーパスタのあった塩谷近くの交差点から山を登り、桃山台の交差点を右折、下畑で左折。そのまままっすぐ車で進めば多井畑八幡神社だ。去年はこの近くの中学校の吹奏楽部を教えに来ていたので頻繁に通ったが、ほぼ一年ぶりに通った。風景はあまり変わらない。すでに懐かしい感じがした。
 鳥居にむかって右側に参拝者用の大きな駐車場があり、そこに車を駐めて参道を上る。参道はけっこうな長さの階段だ。前回訪れたときは何でもなく上ったが、今回はゆっくりと息切れしないように注意しながら階段に足をかけた。しかし、ある程度はしんどい。数ヶ月前なら多分上れなかっただろう。とにかくゆっくり、少しずつ上るように心がけ、何とか上り切った。
 晴れた朝の境内は、人も少なく、静かだった。まず本殿に、次に奧の社殿に、ゆっくり歩きながら懇ろに手を合わせる。紅葉が鮮やかだ。ゆっくり歩くと、こういう何でもない風物が目に入っていい。

 こうやってブログの記事を書きながら色々なことを振り返っていると、ブログに記事を書き始めてからの二年間、何一つ思い通りにいかなかったなあ、なんてことに気がついた。そもそも、神戸のあちこちを散歩してそのことを記事に書こうなんて考えていたのに、書き始めてすぐにパンデミックが始まり、コロナ生活に慣れたかなと思ったら自分の体調不良。
 まあそもそも生まれてこの方、物事が自分の思ったとおりに進んだことなんてほとんどないのだけど、それにしてもこの二年はひどかったように思う。もちろん、悪いことばかりではなかったけど、俯瞰して見ると、自分の人生の中で比較的よくない期間だったと考えざるをえない。
 もっとも、だからって落ち込んだりはしない。人生、良いときもあれば悪いときもあるものだ。そうやって揺れているのが大事だと僕は考えている。むしろ、ゆらぎのない一本調子の人生の方が危険なんじゃないかな。それは生きていないのと同じことだから。良いと悪い、幸せと不幸を、やじろべえみたいに行ったり来たりする・・・それが生きているってことじゃないだろうか。

 とはいえ、やっぱり悪い人生よりは良い人生の方がいいに決まってる。来年はもう少し楽な一年になりますように。


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