笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

DUO神戸


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 風邪もやっと治り、そのタイミングで一ヶ月ぶりの通院日になった。風邪のために外出を控えていたこともあり、運動不足が気になっていたので、umieに車を駐めて病院まで歩くことにした。
 神戸には地下街があり、DUO神戸という名前がついている。ハーバーランドから楠神社のあたりまで、この地下街を通れば雨でも濡れず、信号にも煩わせられない。便利だ。僕がここを初めて通ったのは、中学生の頃だと思うけれど、それがもう30年も前の話になる。子どもの頃は、神戸駅で途中下車して三宮まで散歩するのに、このDUO神戸をよく通ったものだ。今はほとんど用事がないので通らなくなってしまったが。30年前とくらべて、あまり雰囲気に変化はない。もちろん、改装やテナントの入れ替わりのせいで、全く同じではないけれど、おおまかには30年前と大きな違いはないように感じる。

 平日の午前、DUO神戸を通る人影は少ない。通勤時間帯は過ぎているけれど、店はまだ開いていないような頃だから、まあそんなものか。すれ違う人の顔つきも、なんだか以前と同じように感じられる。ハーバーランドの周辺を含む街全体の様相が、30年間、あまり変化していないのかもしれない。

 去年あたりだったか・・・NHKの「ドキュメント72時間」だっと思うのだけど、JR神戸駅から大階段を下ってすぐのところにあるストリートピアノを取材した番組を観た。コロナのせいで、あちこちのストピが使用中止になっているが、あのピアノはどうだろうと思って、通りがかったときに近くに寄ってみた。消毒液がおかれ、囲いがしてあるけれど、一応弾いてもいいようだ。ちょっとほっとした。事態はいい方向に動いているようだ。

 僕はピアノが弾けない。
 ああでも一応、バイエルくらいなら弾ける。そう言うと、音楽に興味のない人は「なんだ弾けるんじゃん」なんて笑うけど、いやいや、バイエルぐらいで「弾ける」などと言っては、本当に「弾ける」人に申し訳ない。
 小さい頃、ほんの少しエレクトーン教室に通わされていたことがあったのだけど、僕には鍵盤というインターフェイスがどうもあわなかったらしく、すぐに辞めてしまった。バイエルくらいなら弾けるようになった今でも、鍵盤は苦手だ。しかし、やっぱり続ければよかったなあなんて思うこともある。僕がDUO神戸を通ったときには、誰もピアノを弾いていなかったけど、「ドキュメント72時間」ではものすごく上手な人が演奏をしていて、あんな風に弾けたら気持ちいいんだろうなあと羨ましく思いながら番組を観ていた。

 しかしピアノというのは、本当に時間もお金もかかる楽器だ。うちの娘も近所のピアノ教室に通って、楽しむ程度に練習を重ねているけれど、あの程度ではベートーヴェンにたどり着くまでに何年かかることやら。番組を観ながら、この人たちがその曲を演奏できるようになるまでの努力の積み重ねを想像し、僕は気が遠くなった。そして、ショパンだのラフマニノフだのを弾ける、有名でもなんでもない、ピアニストやピアノ講師ですらない人々がいて、ストピでさらっと難曲を奏でて去って行く。そういう人がごろごろと・・・うーん、ごろごろとまでは言わないのかもしれないけど、そこそこには・・・いて、普段その辺りを、何でもない顔をして歩いている。なんだか、途方もない、なんて思ってぼんやりしてしまった。

 楽器の練習というのは、楽しいことばかりではない。黙々と一時間、スケールだのアルペジオだのをさらい続けていると「僕は一体、何をやってるんだ?」って気分になる。曲の練習だって、苦手な1小節を100回も200回もさらえばさすがに飽きるし、強弱や緩急を「ああでもないこうでもない」と煮詰め続ければ嫌気がさしてくるものだ。でも、それをやるのが、練習。そういうことを、けっこうな数の人がやっていて、それでもなお、演奏家として世界に羽ばたいていくのは、波打ち際から耳かきでひとすくいした砂ほどの数だけ。途方もない、気が遠くなる・・・。

 四十数年生きて、「できる」と胸を張れるほどの技術を僕は何か獲得しただろうか。豊かではないにしろ、人並みの家庭を築いて、人並みの生活はしてきたつもりだから、人並みには生きることが「できる」程度のことは身につけてきたのだろう。しかし、この春から体調をくずし、人並みにできていたはずのことが何もできなくなってしまった。まだ人生折り返し地点、今からでも何か新しいことを・・・と思うが、この体で今から何かを初めて、「できる」ようになるまで鍛えられることとして、一体何が僕に残されているだろう。選択肢は、あまりないような気がする。そして、これと決めた道がひとつあったとしても、それを「できる」ようになるまでの努力を重ねる体力と忍耐がまだ僕にあるのかどうか。今のところ、道の先を照らす灯りは、あまり明るくない。