笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

バリー・ユアグロー/1003(センサン)


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 体調をくずしてから、体力も集中力も落ちた。少し散歩しただけでひどく疲れる。以前の調子で歩いていると、帰り道に後悔する。読み書きも、長い文章は扱えない。久しぶりに読書でもしようかと本を開いても、長編は頭に入ってこない。
 なら短編ならどうだろう。そう考えて未読の文庫本の山から、それらしいものを拾い出そうと試みた。短編はほとんど読まないから、中々見つからなかったけど一冊だけ、超短編の作品を集めた文庫本があった。バリー・ユアグローの「一人の男が飛行機から飛び降りる」(訳・柴田元幸 新潮文庫)だ。
 ユアグローの作品は1つの物語が、長くても文庫本三ページ程度。シュールレアリズムの絵画を見ているような、ナンセンスでミステリアスなショートショートだ。この長さなら、今の僕でも苦にならなくていい。病院の待ち時間に少しずつ読むのに最適である。

 このユアグローという人、日本ではあまり知られていないし、多分そんなに人気もない。ネットで検索してもほとんど情報はない。邦訳も少ない。それでも去年、邦訳の新刊「ボッティチェリ 疫病の時代の寓話」が出版されていることが分かった。
 読んでみようと思ってAmazonで調べるが、情報がない。昨今は「Amazonで手に入らない商品は、この世に存在しないのと同じ」なんて言われるぐらいだ。はて、と首をかしげて、もう一度ググってみる。いや、ちゃんとあるぞ。よく調べると、ごく限られた書店でのみ取り扱いされている小ロットの本らしい。へえ、そんなのあるんだ。

 兵庫県で取り扱いがあるのは、3店舗。全部、元町から栄町あたりまでにある。散歩を兼ねて行ってみることにした。リストの最初にあった「1003(センサン)」という古書店に僕は向かった。
 マップが案内してくれたのは、栄町のメインストリートに面した古いビル。こんなところに本屋があるとは思えなかったけど、案内板を見て確かめると、確かにここだ。疑いつつエレベーターに乗った。五階で扉が開くと、本棚がすぐに見えた。
 明るい店内は、古書店というよりはお洒落なカフェのようだ。古書店というと、古本が雑多に山積みになった薄暗い雰囲気のイメージがあるけれど、その先入観をまずひっくり返された。これなら、古書店初心者の若者でも足を踏み入れやすいだろう。かえって、僕みたいな中年の男性は腰が引けてしまうくらいだ。
 目的の本はすぐに見つかった。店の中程の棚に平積みしてある。商品の数は絞り込まれているのだろう。余裕のある陳列は、見やすくていい。僕はユアグローをレジに運んで会計を済ませ、店内を一巡りしてから店を出た。

 買った本は50ページにも満たない小冊子だ。何だか、高校生の頃に部活で作った部誌を思い出した。簡単なホチキスどめの製本だし、帯はあるけど表紙カバーもないし。でも、いいな、こういうの。小さな本って、いい。僕は好きだ。愛着がわく。
 この手の、小さな出版社が発行している小ロットの本のことを、リトルプレスとか、スモールプレスというらしい。また、同じような手法で出版されている雑誌を、ZINEというようだ。ちゃんと紙にプリントして、紙の本として作られているところがいい。僕は紙の本が好きだ。情報としての作品とモノとしての本が一体となってひとつの世界を作っているのがいい。情報だけが独立してあるのじゃなくて、メディア自体も作品の一部としてパッケージされ、不可分の存在として互いに響き合う・・・本って本来、そういうものなんじゃないかな。

 そうは言いながらも最近の僕は、便利さに負けて通販で本を買ったり電子媒体で読んで済ませることが多くなったけど、久しぶりに「書店に行って紙の本を買う」という行為をして、これは素敵な体験だと感じた。これはもはや、単なる消費というより、ひとつの文化であるとすら感じる。言うなれば、読書のためのスモール・トリップ。つまり、旅行と同じってことだ。
 だとすれば、例えば温泉旅行が「温泉に入浴する」という体験を中心にしてその周辺としての移動・宿泊・食事が一連の消費行動としてパッケージングされているように、本だって、「そこでしか読めない本を読みに行く」という体験を真ん中において、カフェでお茶したりファッションを楽しんだりする行為をパッケージングして提案できれば、面白いビジネスになるんじゃないかな、なんて僕は思う。そういう商売って、もうあるんだろうか? あるなら、一度体験してみたいんだけどなあ。
 なに、自分でやれって? なるほど、そうか、そうだね。考えとく。