笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

車が脱輪して溝にハマって助けあい

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 駐車するために車を後退させていたら、脱輪してしまった。
 時々おとずれる場所で、細い路地からバックして駐車スペースにいれるのだけど、その日はハンドルを切るタイミングがはやすぎたために、車の頭を反対側にふって後輪の位置を修正してから駐車しようとしたら、頭をふりすぎて左前輪が側溝に落ちた。
 左前輪は浮いていて、アクセルを踏むと空転してしまう。側溝のむこうはすぐ壁で、ジャッキを入れることができない。側溝は細く、ハンドルを切って角度をつけて上ることもできない。仕方がないのでレッカーを頼んだ。
 そのレッカーを待っている間に、その駐車スペースの向かいの天理教の教会から出てきた年配のご主人が、僕の車が脱輪しているのに気づいて、板きれを数枚もってきてくれた。ご主人はその板きれをバールで脱輪したタイヤの下に押し込み、スロープをつくる。するとタイヤがグリップを回復して、側溝から脱出することができた。
 僕は懇ろにお礼を述べたけど、ご主人のほうはノンシャランに手をふっただけで、すぐに自転車ででかけてしまった。

 無償の助け合いである。有り難かった。

 今回は助けられたけど、助けたことも以前にはある。
 一番最近のことで思い出すのは、数年前に六甲山でのこと。山の尾根沿いの道を走っていたら、対向車線に転倒したバイクを見つけた。アスファルトの路面から半分落ちてしまっていて、ライダーは起こそうとしているのだけど、角度的に難しそうだ。そこでUターンし、起こすのを手伝った。200kgあるバイク、ふたりがかりで何とか路面に戻した。
 もちろん、お礼なんか頂かない。無償である。あいさつしてすぐお別れした。

 でも、あのときの奉仕が、場所と形をかえて返ってきたのかなあ、なんていう風にも思う。助ける人は助けられるものだ。

 せんだっては、神戸の震災の日だった。あの地震を経験した人なら、助けられたことも助けたこともあるだろう。お互い様。そのお互い様が、私を救ってくれた。おおきに。