笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

遠いところ

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ぼくに与えられた
ぼくの一日を
ぼくが生きるのを
ぼくは拒む

「詩集 存在確率」 松村栄子 コールサック社

 

 さあ、100本目だ。
 最初に引用した詩に僕が出会ったのは、高校生の頃だ。松村栄子氏の「僕はかぐや姫」の作中で、尚子の詩として紹介されている。この心持ちは、高校生だった僕を支配していた気分をよく表していると思う。
 押しつけがましく与えられた命の息苦しさが、たまらなく嫌だった。こんな命ならいらないと、何度投げだそうとしたことだろう。それでも、明日にはなにか事態が好転するきっかけがあるかもしれないと思い直し、期待と絶望を繰り返しながら、這うようにして一日いちにちを過ごした。でも結局今でも生きているのは、そんな命でも惜しむ吝嗇な性根のためで、そういう自分が本心から嫌いで仕方ない。しかもだ、「僕は自分が嫌いだ」と声に出して叫んでおいて、「ほんとは自分大好きなんでしょ」と他人には思わせ、そうすることで自分の弱さをひた隠しに隠し、虚勢の影に身を潜めることで何とか露命をつないできた。要は、臆病だったんだ。
 ダメな奴だなあと、自分でも嫌になる。嫌になると言い切って、そのことで自己弁護しようとしてしまうところなんか、本当に嫌になる。腐ってやがる。いっそ絶望の淵に沈んでしまえばいいと、いつも青ざめた顔で自分を嘲笑っているくせに、そうすることで自分の弱さを自己弁護している。くだらない。ばかばかしい。鏡の中の自分が、正視にたえるものだったことは、一度もない。最低だ。醜い。
 ずっと、たった一つの願いは、生きた痕跡を何一つ残さずに世を去ることだった。だから音楽が好きだった。音楽は、生まれた瞬間にはもう消えている。はかない。でも、それでいい。印象だけを残して、秒速340mで走り去る。素敵じゃないか。僕にはそういう軽やかさが必要だった。でなければ、絶望の沼に脚をとられて、どこにも行けなくなってしまう。

 

愛はすなおに受ければいい、木の葉が芽吹いてくるように。
だが、私は若くて愚かで聞き入れようとしなかった。

 

「イェイツ詩集」より”柳の園に来て” W.B.イェイツ/高松雄一(訳) 岩波文庫


 転機は、妻の出産だった。
 死んだ後にはため息ひとつ残すまいと念じながら生きてきたつもりだった僕にも、子どもができた。もちろん、望んでできた子どもだった。矛盾しているかもしれないが不思議と、子どもは欲しいと思っていた。生き物としての義務感だったのかもしれない。
 娘は無条件にかわいかった。でも息子はちょっと違った。なぜなら僕によく似ていたからだ。僕はもちろん息子を愛してはいたけれど、僕の嫌いな僕に似ている息子に対してそのように感じることに戸惑った。
 僕の幼い息子の無垢な笑顔が僕に突きつけた要求は、自分に対する態度を改めること。数十年連れ添った自分への憎しみにケリをつけること。容易ではなかった。正直に言って、混乱した。でも、やり遂げねばならないとも思った。
 生きた痕跡を残す。言葉。写真。ブログはひとつの試みであり、挑戦であり、僕という人間があったのだということを世界に向かって宣言だった。ひろく見られたり読まれたりすることを期待しはしなかったが、誰にでも見られる場所に僕から流出したものが置かれていることが大事だった。僕はデミウルゴスとなり、不完全な被造物を世に放った。それが、このブログだ。

 

 恥の多い生涯を送って来ました。

 

人間失格」 太宰治 新潮文庫

 

 一年書いて、1アクセスもなくても構わないつもりだったけど、期待以上の数のアクセスをいただいた。お読みくださった方には心から感謝している。
 たった一年ではあったが、僕としては手応えのあった一年だった。もちろん、すべてが予定通りというわけにはいかなかったが、とにかく途中で投げ出さずに書き続けられたことは、僕に予想以上の自信を与えてくれた。同時に限界も見えたけど、自分で自分自身のサイズを把握しておくことは必要なことだ。自分がいかほどの者であるのかを僕は知ったし、今まで自分自身というものから目を背けてきたことをを反省しもした。悪い気はしなかった。むしろ、安心したと言ってもいいかもしれない。
 今日まで、わけもなくそれにこだわっていたせいで、前に進めなかったつっかえが、取り払われたような気がした。そうは言っても、今まで憎み倒してきたものを今日から100%愛するようになったわけじゃないけど、抜刀の間合いもとれぬほど肉薄していた距離感を多少は広げられた。

 こんな風に言うと、今まで全然撮ったり書いたりしない人が急に書いてみたんだとか、好きだった音楽が大嫌いになってしまったんだとか思われそうだ。もちろん、そういう訳じゃない。以前から撮ったり書いたりするのは好きだったし、音楽を嫌いになった訳でもない。今でも演奏活動は続けているし、高校生ぐらいの頃のスナップ写真を大切に保管していたりもする。人に読ませない日記はもう何年も書いている。ただ、誰でもアクセスできる場所にそれを置いたということ、そのために自分の能力の及ぶ範囲で、読んだり見たりしていただくことを心がけて制作したということ、それだけだ。

 

 完璧な文章などといった存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

 

風の歌を聴け」 村上春樹 講談社文庫


 どうだろう、僕は自分のことを、少しは優しい目で見られるようになっただろうか。目を閉じてじっと考えてみる。うん、以前よりはましかもしれない。好ましい存在だとはまだ思わないけれど、「世の中にはこんな奴もいる」ぐらいには遠ざかって眺められるようになった。少なくとも、僕がまだ子どもだった頃みたいに、脂汗をかいて青ざめるほど思い詰めることはもうなくなったし、これからもないだろう。
 目的は、一応達成できた。
 では、このブログも終わりかと訊かれると、僕はちょっと考え込んでしまう。
 当面は、目標はもたずに、気が向いたときに興味のあることを書くぐらいのことはしたいな。たくさんは書かないだろうけど。何せここは、寄り道だらけでどこに行きたいのかさっぱり分からないブログなわけで、僕の与太話に興味をもってくれる人が、そうたくさんいるとも思えないし。じゃあ終わりにすりゃあいいじゃん、という声も自分の中から聞こえてくる。けど、今僕はやっと、スタートラインに立ったような気持ちでいるのだ。ツーリングに出かける朝の気分に似ている。冷え冷えと空気の冴え渡った冬の日曜の朝、まだ明け切らぬ空の下で、履き慣れたブーツごしにキックスタートを踏み下ろすタイミングをはかっているような気分だ。
 何か、形有るものを子どもに残したい。もちろんそれは、このブログではない。それは確かだ。でも、故郷を離れて暮らす人が季節の節目には帰省して羽休めをするように、帰ってくる場所があるのは励ましになる。ここは、混乱した場所ではあるけれど僕にとっては、少なくともゴミ捨て場ではない。そうだな、青臭い思い出に蓋をして仕舞っておくための卒業文集みたいなものだと言えばいいだろうか。この歳になってそんな風な言い方は、ちょっと照れくさいけれども。そしてそれは、実家の本棚にそっと仕舞っておいて、何か心が揺れるような出来事があった時にだけ、一人でそっと覗き込むものなんだ。

 

I can see clearly now the rain is gone ...
すっかり晴れたって、今はっきりしたんだ・・・

 

「I Can See Clearly Now」 Johnny Nash


 潮風が吹いている。
 高校生の頃、通学電車が須磨を過ぎたあたりの車窓に、海の向こうから朝日が昇ってくるのを眺めるのが好きだった。それは多分、冬だっただろう。東雲たなびく水平線から固まりかけのアメ玉みたいな橙の朝日がのぼる。学校になんか行かないで、この朝日がのぼって反対側の山の端に沈んでいくまで潮風を浴びていたいと、いつも思っていた。実際にそうしたことはなかった。多分、やればできたと思う。僕は、たった一日、学校をサボる勇気さえなかった。今もし、電車の中で学生服の僕を見かけたら、「今日は途中下車しろよ」って言ってやりたい。清々しく凍った風を、胸いっぱい吸えばいい。なぜあの頃、そうしなかったのだろう。なぜ誰もそう言ってくれなかったのだろう。どうして僕は、紙の鎖で縛られた僕の両足の戒めを解くことができなかったのだろう。いや、やめたやめた、もうそのことについては語るまい。そう決めたのだ。それは過ぎたことだ。もう、いいや。いいじゃないか。
 とにかく。
 潮風が吹いている。そして日が昇っていく。いま、水平線の彼方から走ってやってくるこの風と光線は、とても冷たく、そして、とても心地いい。

 

「・・・
『これがーー生だったのか』。わたしは死に向かって言おう。『よし! ならばもう一度!』
 わが友たちよ。どう思うか。君たちはわたしと同じく、死に向かって言おうとは思わないか。『これがーー生だったのか。ツァラトゥストラのために、よし! ならばもう一度!』と」ーー

 

ツァラトゥストラはかく語りき」 フリードリヒ・W・ニーチェ佐々木中(訳) 河出文庫

 

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