笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

北区に潮風は吹かない


f:id:sekimogura:20200224215524j:image

 とりあえず車だ。移動手段だ。最悪なあたしに必要なもの。ロシア人の目にも明らかな。免許とって、親に借金して、中古車を買おう。それで、自分の行きたいところに行けるようになるのだ。椎名のことは忘れて。遠藤には頼らないで。
 
「ここは退屈迎えにに来て」 山内マリコ 幻冬舎文庫
 
 海岸線が一次元的、線的なものであるのに対し、土地というものが二次元的、平面的な奥行きをもつ以上、どんなに”海”あるいは”港”のイメージが強い街でも必ず、海岸線の存在しない内陸部の領域が存在する。神戸でその役割を担うのは、西区と北区だ。この二区は、六甲山麓を北側に超えた向こうに広がる、潮風の届かない土地である。六甲山はまるで屏風、あるいは衝立だ。海岸線沿いの狭い港街と、山の北側に広がる広い内陸部を完全に隔ててしまう。

f:id:sekimogura:20200224215543j:image
 
 北区にある岡場というところに、子どものための施設が最近できた。「こべっこあそびひろば」という。休みだった土曜日の午前に、公園に子どもをつれていったら息子の幼稚園のお友だちが来ていて、その子のお母さんと立ち話で「午後をどうすごそうか迷ってるんですよ」なんて相談したら、北区のその施設の話をしてくれた。どうも、幼稚園ぐらいの子どもを遊ばせるにはちょうどいいところみたいだ。その日は妻の体調が思わしくなくて、親ひとりで無理なく子どもを遊ばせられる場所を思いつかなかったから、これはいいことを聞いたとばかりにその案に飛びついた。昼食に用意したパスタを手早く子どもたちに食べさせると、僕は子どもを乗せた車で北を目指した。

f:id:sekimogura:20200224215559j:image
 
 神戸という土地は、南北のアクセスがひどく悪い。というのも、神戸市を南北に隔てる六甲山は、潮風や風景ばかりでなく、交通も妨げるのだ。有料のトンネルが二本と、山越えのキツい道(車で行ってもツライ)が数本しかないので、とにかく用事がなければ南北で行き来する事はない。北区西区とそれ以外の区は、遠い隣人だと言える。通行量の多い日はトンネルがつかえて難渋する。特に雨だとか台風だとかの時はひどい。幸い、僕が子どもと北区を目指した日は、車がスムーズに流れて、目的地まで小一時間で到着する事ができた。
 北区の風景は、日本のあちこちに存在する、都市圏ではない内陸部の街と特徴を共有している。ひたすらに緑の風景と、平屋を中心とした集落、思い出したように登場する種々の中規模工場、時々コンビニ、ファミレス、そしてイオン。例えば、「ここは群馬だ」とか「ここは岐阜だ」って誰かにそう言われたら、ひょっとしたら僕は信じてしまうかもしれない。ここが神戸なんだと特徴づけるような建造物や風景は、ひとつもない。

f:id:sekimogura:20200224215614j:image
 
 僕はずっと、港街に暮らしてきた。神戸と横浜。僕は、自分は潮の香りのしない場所では生きていけないと思っている。でも時々、もし山暮らしをしてみたらどうだろうか、と想像する時がある。山暮らしなんて言うと大げさかも知れないけど、とにかく、海の見えない場所で暮らしてみたらどうかってことだ。そんな場所は日本の中にさえいくらでもあるだろうから、海岸線のない街で暮らしている人はたくさんいるわけで、やってみれば当たり前に暮らせるんだろう。でも、なんとなく、緑に囲まれて暮らしている自分はイメージしにくい。それが、単に僕の生活習慣の積み重ねによる思い込みのせいなのか、あるいは僕の遺伝子に組み込まれている海民の血のせいなのかは分からないけど。
 僕は、「こべっこあそびひろば」で子どもを遊ばせ、帰りに同じ建物の中にあるイオンで買い物をして、帰宅した。帰り道、車を走らせながら「これって、ハーバーランドでやってることと変わらないなあ」と思った。ハーバーランドにも、「こべっこランド」という類似の施設とイオンがあって、どちらもよく利用する。
 どこでどんな風に暮らしたって、現代を生きる僕たちの暮らしなんて似たり寄ったりなのかもしれない。けど、だからこそ、僕は海の側でなければ生きていけないとも思う。均質化していく世界のなかで、かえってそのわずかな差異が、際立ってくると感じる。

f:id:sekimogura:20200224215641j:image
 
 北区から戻るトンネルを抜けると、重なり合う尾根の向こうに港が見えた。
 ああ、なんだかほっとする。
 「北区と西区は”神戸”か?」なんて議論がたまにあるけど、まあどっちも制度上は神戸市であるには違いない。でも、やっぱり港街じゃないなあ。僕は、ガントリークレーンの見えるところじゃないと、暮らせないみたいだ。