そしていま、彼はハイウェイを車で走っていて、夕暮れが迫りつつある。ニックは父親について考えるのを止めてしまった。ふだんから、一日の終りに父親を想うことはまずない。一日の終りはいつも自分だけのものであって、そうでないと落ち着かないのだ。
「父と子」 アーネスト・ヘミングウェイ/高見浩(訳) 新潮文庫(ヘミングウェイ全短編集2より)
僕は、小さめのグラブをひとつもっている。
僕は野球をしない。一切、しない。興味をもったこともない。野球観戦もしない。誘われて球場に行ったことはあるけれど、それは野球を見に行ったわけではなくてビールを飲みにいったようなものだ。
グラブは、中学生ぐらいの時に、叔父がくれた。何のきっかけでもらったかは覚えていない。誕生日か何かだったのだろうか。事前に、「グラブもってる?」と聞かれたかどうかも覚えていない。でも、たぶん叔父は僕に尋ねて確認したことだろう。グラブをもっている子どもに、グラブをあげても、意味がないだろうから。
もちろん、僕はグラブをもっていなかった。しかし、なぜグラブをもっていなかったかというと、僕にグラブは必要なかったからだ。グラブをもらっても僕には、野球も、キャッチボールさえもする相手がいなかった。叔父は、そこのところは確認しなかった。ついでに言えば、キャッチボールをできるような場所も近所にはなかった。
そういうわけで、僕はほとんど新品の、大人の手には少し小さなグラブをひとつもっている。息子の手が十分に大きくなったら、大きくなりすぎる前に譲ってもいいかもしれない。そのときは、自分用に大人サイズのグラブも買って、一緒にキャッチボールがしたいな。やったことないから、絶対うまくないけど。