笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

吹奏楽


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 指揮者の背中には活力がみなぎっていた。最初のトランペットの響きで消えた会場のざわめきは、いまや、耳を傾ける聴衆の熱気に変化していた。音楽はなんといろんなことを人に思わせるものなのだろう。宇佐子の頭の中に様々なことが思い起こされたのは言うまでもない。そればかりか、集まった人のひとりひとりの胸の中をよびる過去があって、食物は血や肉になるように、思いは確かな感情に結晶する。

 

「うさぎとトランペット」 中沢けい 新潮社

 

 時々、請われて子どもに音楽を教えることがある。
 横浜に住んでいた頃は、小学生の金管バンドを教えていた。そういう話を人にすると、音楽仲間のつてやなんかで、高校や中学校からうちの吹奏楽部を見に来てくれないかと頼まれることがある。今は市内の公立中学にお邪魔している。子どもに音楽を教えるのは楽しい。元気をもらえるし、教えているのはこちらのはずなのに、知らぬ間にこちらが教わっていることも多い。いつも、与えるものより得るものの方が多いと感じる。不思議なものだ。
 僕自身は、フルートをもう三十年近く吹いている。金管バンドを教えていた頃にトロンボーンユーフォニウムの演奏を覚えた。アルトホルンの変ホ調の譜面が読めなくて、でもアルトホルンはマウスピースが小さいので僕には難しく、同じ調子の楽器を覚えればちょっとは勉強になるかと思ってアルトサックスを吹き始めた(今はテナー)。サックスはジャズの先生に教わったので、その頃にスイング、ブルース、バップ、ファンク、ボサと、一通りたたき込まれた。
 そういうわけで僕は、木管金管も、一通り演奏できる。クラシックだけじゃなくて、ジャズの奏法も基本は教えられる。これは僕の、ちょっとした自慢だ。木管金管も、クラシックもポピュラーも教える、という指導者には、まだあまり出会ったことがない。もちろん、いないわけじゃないし、僕よりずっとすべてのことを上手にこなす先生にももちろん会ったことはあるけれど、「実はピアノ一本でやってきて、管楽器のことは全然分からない」とか「トランペットは得意だけど、他の楽器は吹けない」、「クラシックばかり吹いてきたから、ジャズのことはよく知らない」と悩んでいる先生の方がずっと多い。
 吹奏楽プロパーでない先生が、学校の事情で吹奏楽部の顧問になって、悩んだり消耗したりしている姿を見るのは辛い。そして、そういう例は珍しくない。もっと気楽にやればいいのに、なんて僕は思ってしまうこともあるけど、そういう僕だって唯一演奏できない弦バスの子の前にたつと、愛想笑いしてごまかしている。そんな時には、イントネーションの悪さひとつ指摘するのも、なんとなくためらわれ、自分の指導者としての適正を疑って自信を失ってしまう。
 でも・・・結局、先生の仕事って、演奏技術とか音楽の指導は本人が思うほど重要ではなくて、それよりはむしろ、部をひとつのチームとしてまとめあげる生徒指導が重要だと思う。子どもっていうのは大したもので、楽器をあてがわれれば、それなりに自分で調べたり工夫したりして、演奏できるようになってしまうものだ。もちろん、コンクールで金賞とりたいとかっていう話になってくると、ちょっと別だけど、子どもの集団がひとつの有機体として機能し、その活き活きとした集団のなかでひとりひとりが楽しんで音楽に取り組めるかどうかは、演奏技術の問題じゃないのだ。
 じゃあ何が問題なのかっていうと、結局、それは音楽しかない。
 音楽を通して人と関わること、誰かに何かを伝えること、そういう行為の中で自分が変わっていけること・・・それが問題だ。そして、これは吹奏楽だとか音楽だけに限ったことではなく、他の種類の部活でもそうだし、学校や日常生活・・・つまり人生の問題だと言える。自分と誰かの心を揺さぶり続けること。その手段が音楽であり、僕たち大人は、そういう目的を持ち続けることが大切なのだと、子どもに伝えなければならない。技術は手段にすぎないのだ。フォークとナイフみたいなものだと思えばいい。道具とその使い方は確かに大切ではあるけれど、僕たちは温かい料理を食べるためにフォークを握るのであって、食器自体は僕たちのお腹を満たしてはくれない。

 僕に、音楽の指導の仕方を教えてくれた先生は、もともとサッカーを子どもに教えていたそうだ。ピアノの上手な先生だったが、管楽器の経験はなかった。
「俺、ラッパ吹けないんだよね。全然」
 その先生はそう笑って照れくさそうに頭をかいたけれど、その先生が教えていた子どもはその先生の指導するバンドでトロンボーンに出会って、その後東京芸大に入ってしまった。そういうものなのだ。何が大事なのかをちゃんと分かっている人には、そういうことができる。

 僕は、吹奏楽の技術指導については、最高水準とは言えないまでも、平均点ぐらいのことは完璧にできるつもりでいるけど、でも音楽の指導者として、あるいは人生の先達として、子どもたちに何かを伝えているだろうか。子どもが僕に与えてくれる楽しみ以上のものを彼らにフィードバックできているだろうか。バンドの中学生たちが、熱心に楽譜をさらう姿を見ているうちに、僕は時々ふっと自信をなくす時がある。彼らの未来のために、何かひとつ、大事なことを伝えたいとは、常々思っているのだけど。