笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

ファミリア神戸本店/ジーニアスギャラリー

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「ごめんね。泣いたりして。誰かの前で泣きたかったんだ。きっと、そう。見てる人が誰もいないのに泣くのって寂しいじゃない」
 そう言って彼女は涙を拭って微笑した。
「その人の前では泣かないの?」
「嫌なの。きっと彼は私を子供だと思って同情するわ」
 
「放課後の音符」 山田詠美 新潮文庫

 

 友人夫妻のところに子どもができた。
 その友人からは、僕のところに子どもができた時にお祝いをもらっている。ファミリアのベビーウェアのセットだった。出産のお祝いも色々あるけれど、神戸でベビーのお祝いといえば、やっぱりファミリア。大丸のすぐ南には神戸本店がある。散歩を兼ねて、元町まで歩いた。
 ファミリアの商品は「高い」。適当な言葉をつくろってごまかしても仕方がないからはっきり言う、高い。ただし、値段だけの話ではない。品質と耐久性も、とても高い。オーバークオリティなんじゃないかと思うぐらい長持ちする。服も帽子も、長く使っても全然型崩れしない。子ども服なんて、二年も着ればもうサイズが合わなくなってしまうけど、品質的には散々着倒して五年ぐらい、いやそれ以上は保ちそうだ。生地が違うのか、縫製が違うのか・・・僕にはよく分からないけれど、ファミリアの商品が色々な意味で「高い」のは明らかだ。使ってみれば分かる。感動する。
 しかし価格的に高いのもやっぱり本当で、中々自分で自分の子どものためには買わない。チェーンの量販店の商品の五倍から十倍ぐらいの値段はするから、自分の子どもがファミリアの商品を身につけているのは嬉しいものだけど、子どもがファミリアの商品を痛めつけている様子を見るのは、心が痛い。ファミリアのアイテムはやっぱり、プレゼントでもらうのがいいみたいだ。

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 ファミリア神戸本店があるのは、ジーニアスギャラリーという建物だ。
 以前は、ヘルムート・ラングとかラフ・シモンズとか(だったと思うけど、記憶は定かではない)いったハイブランドがテナントとして入居していた。確かblue blueもあった気がする。ジーンズ一本数万円、コート一枚十数万円という商品だから、高校生だった僕がここで買い物をしたことはなかった。僕はこの建物で扱っている商品にはあまり縁がない。ただ、建物自体は好きで、格子状の正面デザインや、入ってすぐのウェーヴを描く大階段は美しい。直線と曲線の調和が見事だ。入り口をくぐってすぐのところにはカフェスペースもある。ここは以前からカフェで、確かジーニアスカフェという名前だった。今は何というか知らない。
 

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 ジーニアスカフェには思い出がある。
 僕は高校生の頃、元町のヤマハに頻繁に出入りしていて、店員さんとも仲が良かった。特に、楽譜売り場にいたナガタさんという女性のスタッフとは仲が良くて、楽譜を買いに行ったり楽器の調整に寄ったりした時によく話し相手になってもらった。ナガタさんは、メガネのよく似合う、フランクで話題の豊富な、素敵な女性だった。当時の僕からすると、干支がひとまわり上の大人だったから、想いを寄せると言うにはちょっと僕が幼なすぎて、憧れのお姉様と言うとしっくりくるかもしれない。
 仲良くなったきっかけは、ボサノヴァの「One Note Samba」の楽譜を僕が注文して、それをシーメールで頼んだものだから僕の手元に届くまでに半年以上もかかったのだけど、いくらシーメールの輸入楽譜だからって一ヶ月以上もかかるのはさすがに珍しかったから、度々催促に通っているうちに話す機会が増えたこと。小遣いが入るとディスクや楽譜を買いにヤマハに通っていたから、そのついでにカウンターに寄って注文の進捗を尋ねるとナガタさんが帳簿をめくったり電話をかけてくれたりし、そのついでに雑談をしているうちに僕の気持ちが膨らんでいったのだった。ナガタさんが僕のことをどう思っていたかは知らない。多分、ちょっとおませだけれどかわいい高校生ぐらいに思っていてくれたのだろうと・・・僕は勝手にそう決めている。
 一度だけ、そのナガタさんとジーニアスカフェでお茶をしたことがある。「ちょっとコーヒーでも飲みませんか」と僕が誘った。待ち合わせがジーニアスカフェだった。僕が先に座ってコーヒーを飲んでいると、ナガタさんは約束通り来てくれた。それから僕たちはいつもヤマハの楽譜売り場のカウンターでしているように少し雑談した。
「私、結婚して、仕事やめるの」
 突然、ナガタさんがにっこり笑いながら言った。急に言うものだし、僕はまだほんの高校生だったから、何も応えられなかった。ナガタさんはその言葉通りに、しばらくすると退職し、姿を見なくなった。湿っぽい愁嘆場もピンク色のロマンティックなシーンもなく、あっさりと、唐突に。きっと、彼女にとって僕は子どもすぎたし、僕にとって彼女は大人すぎたのだ。
 

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 ファミリアで、スタッフの方と相談しながら、プレゼントの商品を決めた。僕の希望が難しい注文だったようで、そのスタッフさんをかなり困らせてしまったけれど、うまく工夫してくれて、四月には商品がそろうように手はずをつけてくれた。
 そういえば、ここで買い物をするのは初めてかもしれない。僕もちょっとは大人になったってことか。注文伝票を切ってもらい、「お世話になりました、では四月の入荷を楽しみにしています」なんてお礼を言いながら、僕はちょっとナガタさんのことを思い出した。

 So I come back to my first note, ・・・
(One Note Samba/Word:Newton Mendonca)
 
 この四半世紀、僕にも色々あったように、ナガタさんにも色々あっただろう。もしまたここで出会えたら、僕たちはまたあの頃と同じか、それとももっと親しく、色々な話しができるだろうか。きっとできるだろう。僕たちはもうお互いに、十分に大人になっているはずだから。