笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

神戸臨港線③


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「ドッテテドッテテ、ドッテテド
 でんしんばしらのぐんたいの
 その名せかいにとどろけり。」
 
注文の多い料理店」(月夜のでんしんばしら) 宮沢賢治 新潮文庫

 

 今度は架道橋から西へと歩いてみる。
 架道橋はHATの市営住宅群の手前で切れている。ちょうど旧葺合消防署から南に降りる道のあたりで、高架の遺構はなくなってしまう。その先には国道二号線の分岐道がつづいている。その分岐道と市営住宅の列と間に細長い緑地があって、注意深く見ると、そこが臨港線の跡地だったことが分かる。もはやレールも枕木も残っていないが、震災後も九年間は線路が存在したのだから、やはりこの緑地が臨港線の跡地なのだ。
 緑地は閉鎖されていて歩くことができないので、国道に沿って歩道を歩く。緑地をはさんですぐ向こうには、市営住宅が並んでいる。臨港線を通る貨物がどの程度の量であったかは分からないが、こんなに近くを貨物を牽く列車が通っていたのでは、落ち着かなかっただろう。今は貨物の代わりに、国道の方をトレーラーが轟音をとどろかせながら走っている。どっちにしても落ち着かない。架道橋の分岐のところでは、スピードを出しすぎたトレーラーが横転しているのを時々見るが、危ないからなんとかならないだろうか。
 歩道は、生田川の河口で途切れる。ここで、線としての臨港線の痕跡は途切れる。そして、生田川を西に渡ったところで、扇状に広がっていた臨港線の分岐と神戸港駅の遺構が始まる。
 今、この生田川河口から震災復興記念公園のあたりまでランニング用の道ができていて、それが分岐の敷地のど真ん中を通っている。左右を見ながら歩くと港側にはまだ倉庫などの港らしい施設が残っているが、北側はゴルフの打ちっぱなしや駐車場に変わっていて、ここがかつて港湾施設と連結した線路だったとは想像しにくい。
 震災復興記念公園には神戸港駅がかつて存在したことを示すモニュメントが残されている。臨港線はここからさらに、第一突堤から第四突堤の方へと伸びる線と、今はなくなってしまった第五突堤から第八突堤へと折り返す線に分岐していた。

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 それにしても。
 これだけの敷地が今、港湾施設としての機能を失って公園として利用されているということが、神戸港の衰弱ぶりをあらわしているような気がする。同時に、運輸インフラとしての鉄道の地位の後退も。どうなっちゃうんだろう、神戸。どうなっちゃうんだろう、日本。インバウンド頼みの経済がコロナパニックで壊滅した今、こういう経済の基礎をささえるインフラや経済の構造自体の在り方を見直さなきゃいけないんじゃないだろうか。