笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

畝馬神社


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 美奴売の松原。
 今、美奴売と称ふは神の名なり。その神、もと、能勢の郡の美奴売の山に居たまひき。
 
風土記〈新編日本古典文学全集5〉」 植垣節也(校注・訳) 小学館

 

 神功皇后の御船を祀ったのが、脇浜にある畝馬神社らしい。国道二号線と四十三号線が合流する灘のあたりに建っている。運転しながら国道のあの辺りを通ると、目につく大きなお社がそうだ。神戸の海岸伝いには、このくらいのサイズの大きな神社が、結構ある。
 日本の古史についてそう詳しいわけではないけれど、瀬戸内海から大阪湾にかけてのこの海域は、古代の海上交通の中心的海路のひとつだったようだ。外国からヤマトの国にやってきた船は、大きな鳥居や墳墓がずらっと並ぶ風景に圧倒されながら海の道を渡ってくることになる。巨大建造物というものが、民族の力や威風のシンボルとして機能するのは、今も昔も変わらないだろう。つまり、これらの神社や古墳は、ヤマト政権の心理的な防衛戦略だったに違いないと指摘する専門家の意見にはうなずける気がする。
 今の社殿が往時のものでないことは明らかだろうが、万葉の時代にはすでに歌に詠まれていたというから、歴史ある神社であるには違いない。

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 以前、神社の近所の小学校に友人が教諭として勤務していて、秋になると地域の子どものお目付役として祭りに参加することがあると言っていた。とてもにぎやかなお祭りらしいのだけど、僕は行ったことがない。
 そもそも僕は、神社のお祭りというものにほとんど行ったことがない。祖父が熱心な仏徒で、祭りなんか行くもんじゃないという考え方だった。行ってみたいと言っても行かせてもらえなかった。祭りがあった日の翌日、学校で同級生が祭りのことを話しているとうらやましかったものだ。
 僕が初めて神社のお祭りというものを目の当たりにしたのは、大学生になってからだと思う。お祭りというか、初詣。年末年始に帰省した折りに、予備校時代の友人と初詣に行こうということになり、六甲の八幡さんに行った。楽しかった。何でこんなに楽しいのに行かせてくれなかったんだろうと、その時はちょっと、気難し屋だった祖父と祖父の言いなりの家族を恨んだものだ。
 予備校の友人たちと初めて初詣に行ったのがきっかけで、彼女らとは毎年年末に六甲の八幡神社に参拝した。今は彼女らもそれぞれに遠くに移り住んだり忙しかったりして滅多に会えないが、神社の境内の屋台で一緒に飲んだのはいい思い出だ。
 今は、子どもを連れて初詣にもお祭りにも行く。大体、江戸時代までは神社もお寺も、神様も仏様も仲良しだったのだ。気にする必要なんてちっともないじゃないか。でも、祭りなんか行くもんじゃないと言われて育った僕は、何となく今でも、神社の境内に足を踏み入れる時は、ちょっと後ろめたい気持ちになる。

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 本殿で参拝を済ませてから振り返ると、鳥居の向こうに国道が見える。かつては海上からこの鳥居が見えたに違いなく、その威容は、海岸線に連なる他のたくさんの社殿とともに、見る者の目を驚かせたことだろう。でも今は、ここはちょうど大きなオーバーパスの上り口になっていて、海はおろか、車も見えず、こんな場所では人通りもあまりない。
 祖父は十年ほど前に往生した。堅物で融通の利かない、昭和一桁生まれの祖父だった。古い男だったのだ。ただそれだけ。だから、嫌いではなかった。それなりに尊敬もしていた。話しかけてもあまり熱心に応えてくれない祖父だったので、僕から話しかけた記憶はあまりない。でも今は、たとえ返事が返ってこなくても、もうちょっと話をしておけばよかったかな、なんてちょっぴり後悔する時もある。今なら、僕ももっと自信をもって語りかけられる気がするし、向こうも、もうちょっとまともに僕に取り合ってくれそうな気もするから。

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