笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

大阪駅


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 その夜の飯は、大阪の町に出て食べた。大阪と東京ではずいぶん違っていた。大阪はゴミゴミした都だということができる。そして、ゴミゴミするという原因は、いろいろなものがモタついているというのからきているらしかった。
 
「がむしゃら1500キロ(全)」 浮谷東次郎 ちくま文庫
 
 子どもの頃、大阪は大都会だと思っていた。
 いや実際、大阪は大都会なのだ。昔もそうだし、今もそう。あんなに巨大な街は、世界を見渡しても、そうそうない。けど残念な事に、日本には東京がある。東京に比べると大阪は、小さい。関西人としては大阪を贔屓したいところだけど、申し訳ないが、やっぱり小さい。
 大阪駅の再開発が始まったのがいつだか、僕は知らない。気がつくと再開発が一段落していて、十数年ぶりに大阪駅に行くと風景が一変していて驚いたものだ。JR大阪駅の周辺は、なんとなく東京・新宿の風景に似ているように思う。再開発の手が入らないエリアがまだ周辺にいくらか残っていて、ちょっとゴミゴミした雰囲気とか、デパートが集まっているところとか、新地の手前のビル群の副都心感なんかが新宿っぽい。
 こういう風に言うと、「じゃあ東京駅に相当する関西の駅はどこ?」みたいな話になってくるのだろうけど、僕は東京を中心とした首都圏と、なんとなく大阪が真ん中あたりと見なされている関西・近畿圏を比べてはいけないと思っている。なぜかと言えば、その一つの街を中心とした大きな都市圏の下支えをしているトータルの人口の規模が、まるで違うからだ。

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 関西に戻ってきて、たいていのことに不満はないのだけれど、たったひとつ、とても困っているのは楽器のメンテナンスだ。僕はいまだに練馬にある職人さんの工房にメンテナンスを依頼している。可能ならば何かの用事で上京したついでに直接持って行くし、それが出来ない時は宅急便でやりとりする。
 楽器のメンテナンスというのは、相性が大事だ。つまり、そのメンテナンスをしてくれる技術者の、調整のバランスの取り方なんかが、奏者の思うバランス感覚と一致している必要がある。メンテナンス技術の上手下手とは別に、メンテナンスのやり方や仕上がりについての方針が技術者によって違って、僕たち演奏家は「この人の感覚は僕の理想と同じだ」と思える人に巡り会うまで出会いと別れを繰り返す。選択肢が多ければぴったりくる職人との出会いの確率はあがるし、少なければメンテナンス難民になるリスクがあがる。
 東京には、大小問わなければたくさんの工房やショップがある。僕にはメンテナンスを頼める職人さんが、東京と横浜には数人いた。大阪を中心とした関西圏には、東京ほどの選択肢はない。僕は、自宅から無理なく行ける範囲の関西圏の工房にはたいてい行ってみたが満足できず、僕はフルートのメンテナンス難民になった。梅田駅近くにある管楽器の販売では大手のお店に、ひとりだけこの人ならと思える人がいて、フルートについては満足していたのだけど、ピッコロの調整ではぴったりこなかった。で、ピッコロを東京までもっていくならフルートも持って行っても同じだという結論になり、今では全部東京で用事を済ませている。
 都市全体の人口が違えば、その中のフルート奏者の人口も違い、それに比例して工房やショップの数も変わってくる。奏者の立場からすると、選択肢は明らかに少ない。こういうことを言うと、もっと小規模の都市で演奏している奏者からすれば「大阪なんて、まだいいじゃん」と口をとがらせたくなるかもしれないが、首都圏にずっと暮らしていた立場からすると、やっぱり不満なのだ。

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 街は、でかけりゃいいってもんじゃない。僕は、小中規模の都市のなげやりな空気感や、郊外ののんびりした雰囲気も好きだ。けど、一定以上の人口が集中することによって広がる可能性や選択肢もある。大阪も、もうちょっと大きいといいんだけどな。これは僕のワガママだと、分かってはいるけれども。