笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

コロナウィルス④


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・・・
酔つ払つたり、歌をうたつたり、
キネマを見たり、闘つたり、
散歩したり、女を可愛がつたり、
こんなことはみんな人間のすることなんだ、
・・・
 
「酔つ払つたり歌つたり」 小熊秀雄詩集より 岩波文庫

 

 子どもができてから、外で飲む機会はほとんどなくなった。それでも馴染みの店は何軒かあって、もう数ヶ月、ひょっとしたら何年も顔を出していないのだけど、このコロナ騒ぎで大変なんじゃないかと思って、ちょっと様子を見に行ってみることにした。別に狭い店に閉じこもって、感染リスクを顧みず酒を浴びようというのではない。ただ、テレビでよく居酒屋がデイタイム営業でテイクアウトの商売に切り替えていると報じているから、まだ店をあけているなら焼き鳥の一皿でも買ってこようと思ったのだ。
 一軒は東門街にあるバーだ。オケの本番の後、二次会で必ず流れる店があって、上品な女性の店主が商売している。ワインが豊富で静かな、大人の店だ。
 三宮が近づくに従って、僕の肌はぴりぴりと痺れ始める。空気が異様なのだ。静かすぎるし、暗すぎる。おかしい、こんなのは夜の三宮ではない。いくら平日とはいえ、夜の九時ぐらいならまだ、酔客が大声で笑いながらはしご酒の河岸を探していたり、そこへ客引きが陽気にまとわりついたり、ホステスがかれた声で常連を見送っていたりしているのが普通だ。
 しかし、店のシャッターは降りているし、どの通りを歩いても人の声がほとんどしない。時々、開いている店があって中から酔っ払いの馬鹿笑いが聞こえてきたり、開いている二階の窓から熱っぽくカラオケを歌う声が降ってきたりすると、それがとても場違いな感じがして、かえって街の静けさと暗さが際立つ。僕は、北野坂へ上がって途中から路地に折れ、東門街に出た。東門街にも人通りはほとんどない。客引きもいくらかは立っているけど、この静かさではやる気もでないのか、僕が通っても声をかけてこない。
 馴染みの店にはシャッターが降りていた。シャッターには臨時休業の張り紙がしてある。予想はしていたが、胸が痛んだ。
 どうせついでなので、少し街を歩くことにした。
 東門街を南に抜け、ハンズ前の交差点に出る。交差点も暗い。南側の角にある薬局は営業しているが、マスクがなければ用はないとばかりに、人は明るく照らされた棚の前を早足に素通りしていく。高架まで下がってサンキタ通りに入ると、ここにも人影はなかった。店が閉まっているのが業腹なのか、若者数人が見せつけるように、通りの変電ボックスをテーブル代わりにして缶チューハイ片手に宴会を開いている。
 途中で路地を北に抜けて、ハンズと駅前を結ぶ一方通行の通りに出る。いつもならここは、客引きがうるさくて歩けないほどなのだが、その客引きの数も少なく、それでも仕方なく通りに立っている若い客引きの中には暇を持て余してバドミントンなどしている者すらある。僕が近くを通っても、声をかけてきさえしなかった。

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 タクシーはまだ、ある程度の台数が通りを流している。しかしほとんどのタクシーは、雪洞の灯りを点けたままだ。ウーバーイーツのバックパックを背負った自転車だけが、忙しそうに走り回っている。けど、その姿もいつまで見られるのか。彼らだって人と直接会う仕事だし、リスクは決して低くないだろう。それに、運ぶ人や物がなくなってしまえば、彼らだって仕事はできなくなるのだ。もっとも、彼ら自身だって僕と同じように先行きの不安を抱えているだろうから、僕なんかに心配されたくはないかもしれないが。

 もう一軒、古いなじみの焼き鳥屋を訪ねてみることにした。二宮商店街のあたりにある店で、もう何年も行っていないのだけど、若くて研究熱心なマスターの焼く焼き鳥はすごくうまくて、昔はよく通った。かなり外れのほうにある店だからひょっとしたら・・・と思ったのだけど、やはりシャッターが降りている。
 このコロナパニックがいつまで続くのか、僕にはわからない。多分、誰にも分からない。できるだけ早く、収束して欲しいと思う。誰も彼も、僕と同じことを願っているだろう。そして、収束したあかつきには、東門街でうまいワインを抜いて、二宮でうまい焼き鳥を頬張りたい。そうできる未来が、その幸せが、どうかすぐ手の届くところにありますように。