笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

新開地

 
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 その晩、庄造よりも二時間程おくれて帰って来た福子は、弟を連れて拳闘を見に行った話などをして、ひどく機嫌が好かった。そして明くる日、少し早めに夕飯を済ますと、
「神戸へ行かして貰いまっせ。」
 と夫婦で新開地の聚楽館へ出かけていった。
 
「猫と庄造と二人のおんな」 谷崎潤一郎 新潮文庫

 日常、僕が新開地に行く事はない。行く事はないというか、一度も行った事がない。で、「そういや行った事ないな」と思って、行ってみることにした。新開地は神戸の、古い歓楽街である。
 そもそも、なぜ新開地に行かないのかといえば、僕の自宅からアクセスが悪いのだ。そして、新開地に行って済ますような用事は、たいてい三宮で済ませることができる。僕には新開地に行く理由がない。多分、そういう人は僕だけじゃないだろう。大阪の北新地、神戸の新開地と言われたらしいけど、今でもそう呼べるだろうか。

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 わざわざ新開地に行かないのは、あまり治安がよろしくないらしい、というのも理由のひとつかもしれない。福原の柳筋といえば、知ってる人は知ってる紳士のための街。知らずに通って怖い思いをしたなんて話も聞くから、覚悟なく無闇に近づいてはいけないのだ。
 しかし、兵庫あたりに住んでいる友人がロスに旅行して、ダウンタウンの治安の悪さに驚き、「新開地なんかヨユウやな」なんてうそぶいていたから、日本の怖い人なんてまだマナーのいい方なのかもしれないけど。
 新開地と呼ばれる地域は、地下鉄湊川公園からJR兵庫駅あたりまでの地域を指す。その朝僕は、地下鉄で湊川公園に向かった。
 地下から階段で地上にあがり、兵庫区役所のスロープから湊川公園に出た。ここは、つけかえ前には天井川だった湊川の川筋らしい。神戸の河川はたいてい、中流域で天井川を形成している。ビルで三階建て分くらいの高低差。けっこうな高さの土手に、自然と人の力はすごいと感心する。
 土手の西側は学校が集中していて、東側に歓楽街があり、その狭間に古い川筋だった公園と役所がある。官民・清濁のせめぎあいを見るようで面白い。通りをスナップしながら歩くと、神社をあちこちで見る。名の知れた神様もいれば、ちょっと聴いた事のないような神様も坐して、今も血の通っている土地の歴史の深さを感じた。

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 多聞通をはさんで南のエリアに入ると、少し街の風情が変わる。北側は、古い街の空気がまだ残っているけれど、JRの高架線に近づくに従って、現代的に整備された町並みになっていった。おそらくは震災以後に立てられたのであろう文化施設が、高層住宅と一緒に通りに並んでいる。
 こういう街の在り方や風景を一概に否定する気はないのだけれど、僕はどうも、こういう人工的な風景を好きになれない。真に美しい蓮華は泥の中に咲くもの。計画的に設計され、コンクリートアスファルトで仕上げた街に、本来なら混沌とした泥沼に根を張るべき花を植えるのはおかしい。それでも花を咲かせたいという気持ちは分からないでもないが、このやり方は違うと…どうして気づかないのだろう。落語家がどうして高座で話すのかを知らない人が作ったとしか思えない。

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 神戸に住む人に、神戸は住みやすいかと問うと、「ま、ちょうどええ街やな」というようなニュアンスで応えがかえってくることが多い。人口は百万あまり、不便や退屈を感じるほど殺風景な街でもない代わりに、首都圏ほど賑やかとも言えない。文化が根付いて育つためには、その下支えになる活気が必要だ。今の神戸は、文化が自然に成熟していくほどの熱量にはめぐまれていないのかもしれない。

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 神戸だって、ほんの短い期間とはいえ日本の都だった頃があるのだ。京阪神の一角を担う都市として、《古都》京都、《商都》大阪にならぶ現代の《○都》の呼称が、ぜひ神戸にもほしい。