笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

ウォークマン


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「わたしのテープ? なんで知ってるのよ、トミー」
「うん。あのとき、ルースがみんなに探させたんだ。君がなくして、がっかりしてるからってな。おれも探した。君には言わなかったけど、ほんとに一所懸命に探したよ。君らには無理でも、おれなら探せる場所もあったしさ。男子寮とか、そんな場所な? ずいぶん長い事探したけど、結局、見つからなかった」
 わたしはトミーを見ました。胸のむしゃくしゃがたちまち晴れていくような気がしました。
 
「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ土屋政雄(訳) 早川書房
 
 先だって、英会話のテレビ番組で、「誕生日にはソニーウォークマンが欲しい」という外国人の若者のツイートが紹介されていた。へえ、レコードの次はカセットテープか。すると次はDATとかMDが流行るのかな。
 僕が幼稚園児の頃は、音楽と言えばまだレコードやソノシートが主流だった。小学生頃にはダブルデッキのステレオが普及して、ダビングが気軽に出来るようになった。僕の場合音楽と言えば、中学生ぐらいでウォークマン、高校生はポータブルCDあるいは
MDだった。僕は「音楽を持ち歩く」時代に生まれ育ったと言える。

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 まだとってあったかなと、実家の古い戸棚の引き出しをひっくりかえしてみる。すると、あったあった、ウォークマンとポータブルのテレコ(テープレコーダー)。ウオークマンは防塵、耐衝撃タイプのソニー製、これは小学校高学年から中学生ぐらいまで使ってたっけ。同じくソニー製のテレコは、高校生の時に使っていたと思う。ウォークマンの方は歯車の潤滑剤がしみ出してベトベトになっていて、ちょっと使えなさそうだけど、テレコは大丈夫そうだ。CDウォークマンも持っていたがカセットほどタフではなく、壊れて捨ててしまった記憶がある。で、探してもやっぱり見つからなかった。

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 僕が音楽を聴き始めたのは小学生の頃だ。当時、レンタルCDショップというものが街中に登場し始めた頃だった。近所のレンタルショップで8cmのシングル盤を借りてはテープにダビングして楽しんでいた。その頃流行っていたのは爆風スランプとかブルーハーツとか大事マンブラザーズバンドとか。九〇分テープに録音して、塾の行き帰りに聞いていた。タフネス仕様のウォークマンには外付けのバッテリーパックがあって、単二電池をつなげると、小さめのガムかスライド式消しゴムのリフィルみたいな薄い直方体のニッカドバッテリーよりもずっと長く音楽を楽しむ事ができて重宝していた。
 小学校の頃、塾の行き帰りに音楽を聴こうと思ったのは、僕が最初ではなくて、同じ小学校に通う同級生が電車でイヤホンを耳に入れて静かに頭をゆすっているのがとてもかっこよかったからだ。当時、週刊少年ジャンプドラゴンボールZをまわし読みするのが小学生の一番の楽しみだったのだけど、その同級生は週刊誌を囲む僕たちの輪から遠いところに座って、ひとりで音楽に耳を傾けてた。僕にはその姿が強烈にカッコよく思えた。彼が聞いていたのはブルーハーツだった。僕はその時まだ、ステレオのイヤホンを耳に入れたことさえなくて、「聴いてみる?」と差し出されたイヤホンを右左逆の耳に入れて笑われたものだ。その後親に、どうしてもウォークマンが必要なのだとねだり、親も音楽は好きだったから、しばらくしたら僕に一台プレゼントしてくれた。最初にテープにダビングしたのは、「スタンド・バイ・ミー」だった。8cm盤のベン・E・キングは、最初に買ってもらったCDでもある。
 高校生になる頃、僕はポータブルCDプレーヤーを手に入れて、もうダビングなんて面倒な手続きはふまずに通学電車で音楽を楽しめるようになった。その年頃の僕はクラシックとジャズにハマっていて、近代フランスもののオーケストラ作品や、ダイアナ・クラールなんかを聴いていた。その頃に買ったCDは今でも宝物だ。時々棚から引っ張り出してデッキにかけると、まだ子どもだった頃の自分の気持ちに戻れる気がする。ポータブルCDプレーヤーはウォークマンよりも耐久性が低く、何度か壊れて数台買い直したけれど、結局、今手元に残っているものは一台もない。CD自体の方は、表面を覆っているポリカーボネイトが剥がれると中のアルミが腐食してしまうなんて当時は言われたけど、非接触式のディスクにそんなことがあるわけがなくて、今でも問題なく聴く事が出来る。
 けれども若い頃に聴いたテープは、数年経つと磁気が劣化してしまい、低音だけ残ったり全体にフレアがとんだ写真のように音がかすれてしまったりして、捨ててしまった。とっておけば良かったと今は思うけれど、でもとっておいたところで、さらに劣化が進んだだけのことかもしれない。この手のものをどの程度保管しておくか・・・正解はないように思う。

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 テレコは部活で使っていた。
 僕は高校生の時、ブラスバンド部に所属していたのだけれど、テレコを使っていたのはそちらではなくて、もう一つ所属していた文芸部の方だった。
 文芸部では年に一度、部誌を発行することになっていて、部員各自がなんらかの文芸作品を創作して掲載するのとは別に、部員による座談会なるものが収録されるのが習慣だった。今読み返すと、高校生の他愛ない雑談にすぎないのだけど、当時はその座談会を書くのも読むのも強烈に面白かった。テレコは、その座談会の収録に使っていた。部室で二時間ぐらい部員同士でしゃべり倒し、後でその録音テープを文章におこすのだ。録音専用のテレコは録音にも文章におこし直す作業にもぴったりで、重宝した。あのテープはどこにいったんだろう。やっぱり捨ててしまったんだろうか。もし残っていたら、そこにまだ子どもだった僕の声が残ってるんだろうか。どこかにあれば、聴いてみたい気もする。
 デジタル技術の躍進によって、高音質な音源が気軽に楽しめるようになったのは素晴らしい事だと思う。その一方で、磁気テープのヒスノイズが懐かしくて、デジタル音源を物足りないと思う事もある。どっちにもそれぞれの良さがある。映画「アメリ」のサントラからすべてのノイズを引き去ってしまったらきっとつまらないだろうし、隅々までクリアなラトル指揮ベルリンフィルベートーヴェン全集にはつい耳をそばだててしまう。どっちがいいってことじゃなくて、どっちもよくて、それぞれに楽しい。
 ああでも、そういえば近頃、ディスクのレンタルショップがめっきり減った。借りてきてダビングするっていうその一手間、嫌いじゃなかったんだけどな。とは言っても、時代は一方通行だ。ちょっと寂しい僕の気持ちは、時代遅れってことか。
 やっぱり、どこかにカセット残ってないかなともう一度、実家の引き出しという引き出しを片っ端からあけてみる。すると、懐かしい四角い筐体を発見。あっと思って手に取ると、軽い。TDKの七十四分テープのケースに、中身はなかった。