笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

メリケンパーク


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「陽が沈むのを、一日に四十四回見たこともあったよ!」
 そう言ってしばらくしてから、きみはぽつりとつぶやいた。
「ねえ・・・悲しくてたまらないときは、夕陽が見たくなるよね・・・」
「じゃあ四十四回見た日は、きみは悲しくてたまらなかったの?」
 王子さまは、答えなかった。
 
星の王子さま」 サン=テグジュペリ/河野万里子(訳) 新潮文庫
 
 僕が中学、高校生の頃、メリケンパークはお気に入りの散歩コースだった。放課後、神戸駅で途中下車してハーバーランドをぬけ、メリケンパークを通って旧居留地あたりまで歩くのだ。そしてそのまま三宮駅まで早いペースで歩き通すと、一時間と少しのウォーキングになる。気持ちよかった。家族には夜中に繁華街をウロウロ歩き回るなと叱られたものだけど、このコースで騒がしいのは神戸駅三宮駅周辺ぐらいで、メリケンパークのあたりは静かだった。そして、静かなメリケンパークと旧居留地を歩くのが僕の楽しみなのであって、人混みの駅周辺は通過するだけだから、僕はいたって健全な散歩愛好家だったのだ。
 イベントさえなければ今でも静かだが、震災前、ホテルや観覧車ができる以前はもっと人影が少なかった。そして、夕暮れ時から夜にかけて、岸壁の石段にはカップルが五メートル間隔で均等に並んでいた。僕が高校生の頃に交際していた女の子はもっと西の方に住んで神戸で会う事は稀だったから、一緒にメリケンパークを歩いたことはない。で、いつかこの夜景を一緒に見たいなと思っているうちに、別れてしまった。

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 歩いて通り抜けるだけではなくて、時には腰を下ろしてゆっくりと潮風を浴びることもあった。震災の前後でメリケンパークの風景も少し変わったけれど、五体のモアイのような彫刻は僕の知っているかぎりずっと同じ場所にたっていて、僕はこの土台のところにすわり、彫刻にもたれかかってぼんやり海と空を眺めるのが好きだった。日によっては一時間も二時間も座っていることもあったけれど、制服姿の男子学生がひとりで座り込んでいても誰も声をかけないくらい、メリケンパークは寂しい場所だったのである。

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 そのうちにオリエンタルホテルの建設が始まり、震災の頃に完成したと記憶している。対岸のモザイクガーデンの観覧車も同じ頃に移設されてきたのだっけ。そのおかげで、メリケンパークの風景はちょっと見栄えがするようになり、散策する人も増えたけど、そのせいで公園は少し騒がしくなり、空も狭くなった。

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 僕は大学受験に失敗して、浪人生だった一年がある。予備校に通って次の受験に備えていたわけだけど、予備校の自習室はいつも満席だったので、天気のいい午後はメリケンパークのベンチで参考書を開いていた。午前は三宮の喫茶店で高校時代の友人と自習し、午後はメリケンパークでひとり自習だから、予備校の授業は基本、すべてフケていたことになる。夕方になるとカップルがやってきて居づらくなるのだけど、その時間帯を僕は喫茶店でアルバイトして過ごしていた。素敵な女の子と一緒にここにこれたらいいなあと思ってはいたがそういう相手もいなかったし、そういう場合でもないと自分を戒めていたから、結局、あの五メートル間隔の列に僕は加わった事がない。

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 僕は横浜の大学に進学し、そのまま横浜にとどまって就職した。たまに帰っても古い友だちと居酒屋で飲む夜を数回過ごすと上京する日になってしまって、神戸をゆっくり散策する時間もなかったから、僕はその間の十年以上、ほとんどメリケンパークを訪れなかった。横浜にいる間に、結婚をした。結婚式は神戸だったが、披露宴はポートアイランドのホテルだった。
 東関東大震災の年に、神戸に生活の拠点をもどした。十数年ぶりにメリケンパークを訪れると、その変化のなさにちょっと驚いた。僕が予備校生だった頃と風景がほとんど変わらない。モザイクガーデンの観覧車のイルミネーションがずいぶん豪華になっていたけれど、本当にそれがたった一つの変化だった。しかしそれも、みなとみらいのコスモクロックを見慣れた目には、ずいぶん地味に感じられたけど。

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 その数年後、メリケンパークに再開発の手が入った。野外ステージや噴水ができ、スタバが開店し、インスタ映えをねらったモニュメントが出現した。市の方針がかわって、観光地としての神戸を積極的に再開発する方針になったのだろう
。効果はすぐにあらわれて、メリケンパークはにぎやかになった。土日には野外ステージでイベントが行われ、そんな時は空いているコインパーキングを探すのさえ一苦労する。
 先だっての夜、用事があってフィッシュダンスホールを訪れた。今、僕には小さい子どもがいて、用事でもなければ夜中に出歩くことはほとんどない。だから、夜にメリケンパークに来るのは本当に稀だ。久し振りに潮の香りのする夜風にあたるのが気持ちよくて、用事が済んだ後僕は、岸壁沿いにふらりと歩いた。
 お、いるいる。相変わらずだなあ。
 海に向いて並んだベンチ。だいたい、五メートル間隔ぐらいだろう。ひとつのベンチにひとカップルずつ、均等に並んでいる。メリケンパークの様相は昔とずいぶん変わったけれど、この五メートル間隔だけは変わらないらしい。僕は、五体のモアイみたいな彫刻まで歩き、土台によじ登り海に向かって腰を下ろした。ジーンズごしに尻で感じる、冷たい石材の固い感触が懐かしかった。