笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

大久保


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 大久保町はガンマンの町だ。と、父は言った。だから命がけで行けと。あほらしい。
 

 

 大久保はイオンの町だ。
 いや、大久保はビブレの町だった。ん、ちょっとまてよ、その前はマイカルの町だったような…。
 僕が中学生の頃、大久保の思い出はない。西明石を過ぎて、大久保、魚住、土山の三駅は、どの順序で並んでいたかさえ記憶が怪しかった。もちろん、下車したこともない。だいたい、僕は通学で三宮から加古川の向こうまでJRを利用していたけれど、明石から加古川までは大抵寝ていた。うっかりこの三駅のエリアのどこか途中で目を覚ますと、自分が一体どこにいるのか分からなくて困った。風景が変わらないのだ。田圃と畑と民家と、その隙間に小さな町工場みたいなのがちらほら。当時はまだマンションもほとんど立っていなかった。広々とした田園風景の向こうに、西明石で分岐して在来線の南側を通っている新幹線の高架を夢うつつに見たのを、何となく覚えている。
 その大久保にシネコンができたのは、さて、いつのことだったか。とにかく二十数年前のことなのは間違いない。まるでおとぎ話のように、ある朝僕がはっと電車の揺れに目を覚ますと、大久保の駅前に巨大な近未来の建築物ができていた。
 学校で大久保に住んでいた友だちにあれは何だと尋ねると、嬉しそうにニコニコしながら「映画館ができたんだよ! それも、でかいやつが、いっぱい!」と応えた。
 当時はまだ、ああいう郊外立地型の大型施設は珍しかった。こんなところにこんなどでかいショッピングモール作って、誰が来るんだ? それが当時の僕の感覚だった。ちょっと悔しかった、というのも事実かもしれない。その頃、神戸は震災の復興期で、三宮はアスベストの霧の中だったから。
 あれから二十年…なんて言い方をするときみまろみたいだけど、郊外立地型巨大ショッピングモールにも栄枯盛衰があった。新鮮さと飽きの感覚が三角関数のように波を描き、閾値を下回ると、モールの看板が架け替えられる。往時は人目をひいた装飾や彫刻には、もう誰も振り返らない。当たり前のものが当たり前にあれば、看板なんかどうでもいい。大久保のイオンの混乱した看板は、時代の変遷とモールの歴史を感じさせる。
 僕は大久保の四半世紀前を知っている。さて、四半世紀後はどうなっているだろうか。また別の看板が増えているかもしれないし、案外、今のままかもしれない。

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