笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

兵庫県立美術館 芸術(art)=技術(art)


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 よく言われることですが、建築家という職業は、画家やピアニストというソロで才能を発揮する芸術家と違い、自分自身は直接的に作品制作に関わらずに、大勢の人たちを率い、決断し、指示を与えていく、映画監督やオーケストラの指揮者に近い役割を担うものです。
 
「建築を語る」 安藤忠雄 東京大学出版会

 

 

 たとえ建築に興味がなくても安藤忠雄の、名前ぐらいは聞いたことがあるに違いない。現代の名建築家一覧に名前を連ねるひとりだ。兵庫県立美術館は、その安藤忠雄による設計である。
 打ちっぱなしのコンクリートとガラスのクールでハードな質感。水平、垂直を基調とするシャープなフォルム。ただし、直線と直角に終始するのではなく、どこかに大胆な曲線が取り入れられていて、それがただの「箱」ではない安藤建築に共通するマチエールを兵庫県立美術館に与えている。

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 建物の敷地に一歩足を踏み入れた瞬間から、そこは安藤ワールドだ。ここに来ると、太陽の光線や吹き抜けていく風でさえ、建築物の一部のように感じられる。美しい。
 建物のまわりには彫刻が配置されている。幾何学的なデザインの彫刻が多く、美術館の建物とよく調和している。しかしここでも、すべてがピカピカカクカクしているかというと、そうでもない。有機的なラインをもった彫刻も随所に配されていて、いいアクセントになっている。

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 屋外に設置されている彫刻で特に有名なのは、ヤノベケンジによる「Sun Sister」だろう。「なぎさちゃん」の愛称で知られるこの作品は、HAT神戸のランドマーク的存在でもある。建物南正面の大階段を背に堂々と立つ姿は、神々しい。
 もうひとつ、屋外から眺めて目をひくのは、建物屋上から我々を見下ろす「美かえる」ではないだろうか。灰色のスクウェアな建築物の上にちょこんと載ったこのカラフルなオブジェはよく目立つ。安全のためであろうか、このカエルは時々しぼんでいて、そのべちゃんとつぶれた姿もなかなか愛らしい。荒天の日や閉館後の時間帯に、「ふう、ちょっと一休み・・・」とでもいうように疲れた姿を眺めて楽しむのもいい。
 近頃もうひとつ、安藤忠雄自身によるリンゴの彫刻が、運河に向かって張り出したキャットウォークのようなスペースに加えられた。みずみずしい青リンゴのグリーンの鮮やかさは、建物と調和しつつも、コンクリートの灰色や運河の青空を正面から受け止める力強さを備えている。

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 この美術館では年に五回程度、特別展が催される。僕はこれが楽しみで、是非見たいと思う特別展が複数回ある年度は、会員証を求めるほどだ。
 二〇一九年度最後の特別展は、「ゴッホ展」。ごく初期からアルルで過ごした頃までの作品を、ゴッホに影響を与えた画家の作品を交えつつ年代順に展示している。初期の作品は、ちょっと絵心のある中学生が描いただけなんじゃないかと思うほど微笑ましい。しかし、ハーグ派、印象派の先輩画家の影響を受けながらゴッホは少しずつ成長していく。今回の展示では、ゴッホの目と筆が研ぎ澄まされていく様がよく分かる展示になっている。
 注目するべき作品は、「糸杉」だろう。今年度僕が会員証を買ったのは、この「糸杉」を見るためだったと言っても過言ではない。この「糸杉」は是非、その目でじかに見るべきだ。画集のプリントでは伝わらない立体的な絵の具の塗り重ねが、とても力強い。そして、燃え上がる緑の炎のような糸杉は、陽炎を立ち上らせ、空の色をおおきくうねらせている。まるで大地の裂け目から吹き出す緑のマグマだ。この絵の発散するエネルギーは、尋常ではない。額の内側からは、糸杉のもつ自然のパワーに気づいたゴッホの興奮があふれ出している。

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 僕たちが美術品を鑑賞する上で欠かせないのが、空間と照明だ。
 展示室は広々としていて、照明の加減もちょうどいい。これは何でもないことのようで、とても大事なことだ。人が殺到すると作品をまともに鑑賞できないような狭い展示室や、照明が作品のニスに反射して色の判別が難しいような灯りは、美術館にふさわしくない。照明は、角度もよく工夫されている。筆のストロークをよく見ようと僕が顔を近づけても、顔の影が作品に落ちないのだ。スタッフの繊細な気配りが感じられて、僕はいつも感心してしまう。
 兵庫県立美術館は、見てくれだけの箱ではない。美術鑑賞に最適化された、極めて機能的な芸術作品だ。