笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

「水道筋」 たこ焼きとヘインズ

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 「…ただ、あの時のフルート聞いたあの気分がどういうものかもっとよく知りたいな。それだけは感じるよ、あれは何だったのか知りたいよ」
 

 

 娘に連れられて公園に遊びに行ったら、初めて見る男の子が僕たちに声をかけてきた。明るくて陽気な男の子。だけど、友だちと一緒に来ている様子はなくて、ひとりだった。「あの子は誰?」と娘に尋ねたら、隣のクラスに来た転校生だという。彼に、どこの小学校から来たのかと尋ねたら、水道筋あたりにある小学校の名を応えた。その小学校の名前に聞き覚えがあって、そう伝えると、彼ははにかんで笑った。
 水道筋は、阪急王子公園駅から東へ延びる商店街だ。けっこう長い。海賊の頬を飾る縫い傷みたいな脇のアーケードや通りからはみ出した商店の列まで入れると、市内で最も大きい商店街のひとつなんじゃないだろうか。下町の風情漂うアーケードが買い物客でにぎわう景色は、どこか懐かしい。
 

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 僕が小学校の頃、僕は水道筋に時々たこ焼きを買いに来た。少し遠いけど、僕の実家から自転車で来ることができた。その当時、たこ焼きの相場は一舟十個で二百円前後だったが、水道筋には一舟八個が百円で買える店があったのだ。もちろん、焼きたてアツアツの、ちゃんとタコの入った大粒のたこ焼きだ。紅生姜少なめで、小学生にはそれがちょうどよかった。実家は家で商売していたから、僕のおやつは銀貨一枚をもらって自分で買い食いするスタイル。普段は駄菓子をかじることが多かったけれど、ちょっとおなかにたまるものが欲しい時は水道筋のたこ焼きを食べに行く。近所にもたこ焼き屋はあったが、そこは一舟十個が百五十円で、銀貨一枚では購うことができなかった。
 昔を懐かしんで、一舟百円だったたこ焼きを探してみることにした。
 商店街に入ると、僕は買い物客にもまれる。昔から活気のある商店街だったが、いまでも賑わいは衰えない。店構えをひとつひとつ確かめながら、僕はアーケードを奥へと進んでいく。
 それらしい店は何軒かある。アーケードの一番東にあったたこ焼き屋が、なんとなく記憶の光景に重なった。鉄板の前に立って一皿注文し、「この店って、いつ頃からありますか」と尋ねてみた。
「三十八年やってるよ」
 それなら、僕が小学校の頃に通っていてもおかしくない。一舟百円で出していたかと確かめると、「百二十円で出してた頃はあるねえ」と返ってきた。どうも違うらしい。今のこのお店の値段は二百五十円。それでも十分お手頃だ。温かいたこ焼きを食べると腹がほかほかと暖まった。うまい。やっぱりこの店だと思うんだけどな。違うのかな。
 

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 水道筋には、もう一つ思い出がある。
 中学の時に音楽を聴くようになり、楽器を始めた。僕が選んだ楽器はフルート。笛といえば縦に構えるもの、と僕は思っていたのだけれど、テレビでフルートを見た時、その横に構える姿がかっこいいと思ったのだ。最初はアルテを見ながら一人で練習していた。けど、僕が熱心に練習するので、僕は教室に通わせてもらえることになった。その教室が、水道筋の入り口にあった。
 先生は若い女性で、優しく丁寧に指導してくれた。若いとはいっても、中学生だった僕から干支がひとめぐり上で、僕にはずいぶんお姉さんに見えたものだ。よく使い込んで灰色にくすんだシルバーのフルートを吹いていて、レッスン前にはよくサンカンをさらっていた。彼女のレパートリーだったのかもしれない。
 先生のフルートは、一番出来のいい年のサントスを丁寧にドリップした時のような、香り豊かで甘い、でも派手すぎない、素晴らしい音色がした。音色は甘いのに鳴りは太く、何度かコンサートにさそわれて聴きに行ったけど、ホールでは低音域でもよく抜けるし、アンプを通した時のマイク乗りもいい。僕のスタンダードクラスのヤマハとは、大違いなのだった。「何ていう楽器ですか?」と尋ねると、先生は「ヘインズっていう楽器よ。中古だけど」と応えた。
 オールドヘインズ。それがフルートの銘器であることを、僕はもっと後になってから知った。先生の楽器はカバードのC管で、おそらくレギュラーモデルだった。先生は、先生の師匠の影響でこの楽器を選んだと言っていたが、その師匠が誰だかまでは僕は知らない。とにかく、このレギュラーヘインズを吹く先生の音色が、僕にとってのフルートの原体験であり、今でも僕の耳の奥にこびりついて離れない、笛吹きとしての僕のイデアだ。
 僕も今はヘインズを吹いている。御年七十歳オーバーの中古だ。ただし、レギュラーではなくてハンドメイドモデルを選んだ。市場に出回っているレギュラーはC管がほとんどだが、オケで使うにはH管の方が勝手がいい。H管のオールドヘインズで探して、僕の条件と好みにあったのが、今の僕の楽器だ。
 極端なライト管のハンドメイドは、ヘビー管のレギュラーよりも繊細な音を奏でる。右手の音程に独特のクセがある。使いやすい楽器ではない。でも、この楽器でなければ出せない音があるし、この音でなければならない理由が、僕にはある。
 
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 僕が通っていた音楽教室は、今はない。先生とも連絡はつかない。たこ焼き屋も今、水道筋にある店はやっぱり、一舟百円で商っていた店ではないだろう。時は流れた。昔、うまいケーキを売っていた洋館風の建物の店が、ついこの間までは携帯ショップをやっていて、今は歯科になった。知らないパン屋ができた。チェーン店の飲食店も増えた。別に悪いことだとは思わない。街は時代とともに変化していくものなのだから。ただ、思い出の痕跡がひとつ、またひとつと消えていくのに気づいてしまうのは、ちょっと寂しい。僕の感傷にすぎないのだけれど、やっぱり、ちょっと寂しい。
 

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 見覚えのないパン屋に入ってみる。見覚えはないが、おしゃれな看板とは裏腹に、店内はちょっと懐かしい雰囲気だ。サンドイッチにカレーパン・・・いくつかをトレイに取ってレジに運ぶ。通りに出て袋から出し、かじりついてみる。
「お、うまい」
 甘みの強い生地に、焼き生地のカレーパン。油っぽくない口当たりが現代的だ。なんだ、新しい店もいいじゃないか。転校生の彼も、このパンを食べただろうか。僕はちょっと、自分の過去や記憶にこだわり過ぎているのかもしれない。今のこの水道筋の光景や味が、転校生の彼にとってはいつか、思い出になるのだろう。
 後へ、後へと送り出されていく現在の薄片が、積み重なってやがて、香ばしい思い出になる。ここは、そんな場所なのかもしれない。