俳句の季語には、本意というものがあるらしい。
本意、ほい、ホイ、なんじゃらほい。長いこと、その何たるかが分からなかった。もちろん、あちこちで説明は目にするし耳にする。でも、どんな説明を受けても、じゃあそれって結局何なのってことが理解できなかった。でも最近やっと、なんとなく本意のなんたるかが、こういうことなんじゃん? ぐらいには分かってきたような気がする。
季語の本意って、その語の表意に寄り添ってまとったり内包していたりする情感や質感、手触り、またそれに触発されて詠み手や聞き手が感じる感情や感覚のことなのではないだろうか。
どう、これであってる?
現代風な言い方をすると、その言葉のメタ情報、なんて表現できるだろうか。ああでも、そういう言い方をすると、ちょっと範囲が広すぎるかな。その、なんていうか、人間と事物の交響によって生じる情動みたいなものなんだよね、きっと。あああ、難しい。なんて言えばいいんだろう。分からん。
これが、どうにかこうにかはっきり言えるようになると、ひょっとしたら俳句もうまく作れるようになるんだろうな。もちろんそれだけじゃないだろうけど、学習のステップの一つとして学んでおくのは悪くないはず。ガンバロ。