笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

天下一品


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 京都といえば日本の古都であり、寺社仏閣の宝庫だけど、それと同時に、日本有数の学生の街でもある。餃子の王将や天下一品を京都が生んだと言うと、古都のイメージにはそぐわないかもしれないが、学生の街が発祥なんだと思えば、なんとなく納得できる。
 僕は天下一品のラーメンが好きだ。横浜で働いていた頃、土曜日の午前に休日出勤した後には関内駅前の天下一品で食事をするのが楽しみだった。しかし、神戸に戻ってからはあまり食べる機会がなかった。理由は単純で、生活圏に天下一品のお店がなかっただけだ。でも、あのポタージュみたいなこってり味のスープが好きで、チャンスがあればまた食べたいと思っていた。
 だから、資格取得のために京都の大学に来て、その門の前に天下一品があるのに気づいた時は嬉しかった。

 天下一品は店ごとにサイドメニューやセットの内容が少しずつ違う。若い頃はよく丼物のセットを頼んだが、今はもうそんなにたくさん食べられない。控えめに、こってり味のラーメンを単品で頼む。うん、10年ぶりに食べた。懐かしい。昔よりさらにこってりさに磨きがかかっているかもしれない。もはやスープというより餡だ。
 隣に座った別のお客さんは、屋台味なるラーメンを頼んでいた。ふーん、今はそんな種類があるのか。その数日後もう一度来店して、今度はその屋台味を食べてみた。ああ、昔々その昔、僕が十代だった頃の天下一品ってこんな味したなあ。どのへんが屋台なのかはよく分からなかったけど、大昔のレシピを再現したのかもしれない。

 僕が学生の頃、世間はラーメンブーム真っ只中だった。新横浜にラー博ができた時代だ。あちこちのラーメン屋に出かけていって名店のラーメンを食べ回るのが流行っていた。個性的なラーメンがもてはやされた時代だった。もちろん僕もあちこち食べ歩いたけど、全国どこでも口にできる天下一品には、おいしさと同時に安心感がある。チェーン店で味わえる平凡さは、あの時代にあってはある意味、非凡だったのかもしれない。

 京都生活はすぐに終わってしまい、僕はまた天下一品のない生活に戻っている。今度、こってり味を食べるのはいつだろう。わざわざ食べに行くほどのものでもないから、当分食べないだろうけど、街中であの看板を見かけたときにお腹が空いていたら、また食べたいな。