笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

訃報


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 図書館に行くために線路沿いの道を歩いていたら、携帯が鳴った。聞き慣れないアラーム音。滅多に受信しないSMSのアイコンが点滅していた。通知のウインドウに表示された送信者の名前は、横浜にいた頃に勤務していた職場の同僚だった。
 彼女は横浜での知り合いだが神戸の出身で、職場では親しくしてもらっていた。僕が横浜を去ってからも、長女が生まれたときに一度、帰省のついでに顔を見に来てくれたことがある。けれど、それ以来連絡をとっていなかった。

 なんだろう、と訝りながらメールを開くと、その職場の先輩の訃報だった。

 その先輩は、僕の半回りぐらい年上の先輩職員で、明るく陽気な人だった。仕事のトラブルがあっても然苦にしないタイプで、さらに年上の先輩には「もうちょっと気にしなさい」みたいに叱られていたけど、それでもあっけらかんと笑っていた。僕たち後輩の前では、頼りがいの「ない」アニキを演じていた。ちゃらちゃらした空気をまとって、不真面目なふりをして、そのくせ誰よりも真剣に仕事をしていた。よく飲みに誘ってもらった。自分から誘ったくせに、三軒目くらいになると潰れていた。「しっかりしてくださいよ」と誰かがツッコミを入れると、嬉しそうに笑っていた。
 誰からも愛されていた人だった。人に悪意をもたないひとだった。仕事上でのことは色々あったけれど、そういう人だったから、恨まれたり嫌われたりということは全然なかった。僕もその先輩のことが好きだった。何でも気楽に話せたし、話しかけると仕事の手を止めて熱心に耳を傾けてくれた。「今忙しいから後で」とか「ちょっと待って、これ片付けてから」みたいなエクスキューズを先輩がしたことは、多分一度もなかった。

 急死だったようだ。歳はまだ、五十にとどくまい。早すぎる。老少不定、人はいつか死ぬか分からないと知ってはいても、寿命にはまだ早いと思っている知己が往生したと聞くのは辛い。半世紀を待たずに世を去った知友眷属がすでに何人かあるけれど、それでもやっぱり、二十一世紀の日本に暮らす人の平均寿命に指先もとどかないうちに世を去ったという知らせを聞くと、きゅっと肺が縮むような気がする。そして、彼がこちらに残していった人や夢のことを考えると、一層息苦しくなり、彼や彼が残したもののために自分ができることの少なさを知って、絶望する。やりきれない。

 その夜、横浜の方に杯を掲げて、献杯、と心で唱えた。葬儀にまにあうように電報を打った。無力な僕にできることは、それだけしかない。たったの、それだけしかない。