笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

灰色の窓


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 まだ長女が幼稚園に通っていた頃、園の向かいの公園の西側に、老婆が住んでいた。
 お年は、八十ぐらいだっただろうか。腰は曲がっていたけど、えっちらおっちらと達者に歩いていらした。夕方に僕が長女を園に迎えに行くと、公園脇の道路の落ち葉を箒で掃いていた。当時は週に一二度、長女のお迎えを僕がやっていたので、老婆とは顔なじみになり、挨拶をしたり立ち話をしたりする仲になった。朗らかな笑顔が印象的な老婆を、僕は「奥さん」と呼んでいた。ご主人らしい人を見たことはないし、家族の姿を見たこともなかったから、そもそもご結婚されたいたのかどうかも分からないけど、まあとにかく僕は彼女のことを「奥さん」と呼んでいたし、彼女もそれを受け入れていた。

 仕事が休みの朝、長女を送っていくと、奥さんはアパートの出入り口の小さな階段に腰掛けたり、公園側のガードレールにもたれかかって風にあたっていたりして、長女を園に預けた後に声をかけて「何してるんですか?」と尋ねると「子どもの顔を見てるんだよ」と奥さんは応えた。
「子どもはみんなかわいいね。見ると、元気になるんだよ」
 奥さんはそう言って笑った。
 幼稚園の登園時間の前には、近所の小学校の子どもたちがこの道を通る。多分奥さんは、小学校の登校時刻には表に出て子どもたちを見守り、そのまま幼稚園の子どもたちの登園風景も眺めるのだ。その姿は、生きた地蔵尊のようだった。
 晴れた日には、大抵奥さんは表にいた。雨の日だけは、姿を見なかった。傘を差して奥さんのアパートの前を通ると、奥さんの影が窓にうつっていた。だから姿が見えなくても、奥さんがそこにいることだけは分かった。こんな言い方はなんだけど、いつ何があってもおかしくないお年ではあったから、奥さんがそこにいると分かるだけでなんとなく僕は安心したものだ。

 幼稚園の、秋の運動会は目の前の公園で行われる。奥さんは少し離れたベンチに座ってそれを見に来ていた。我が家のスチル撮影担当の僕はカメラを持っていたので、競技の合間に奥さんと雑談して「一枚撮らせてくださいよ」と頼んでみたことがある。奥さんは照れて、僕の依頼を断った。あまり無理に頼むものでもないので、僕は引き下がったけど、やっぱり撮っておけばよかったなあと後で思った。
 というのは、その冬、奥さんの姿をぱったり見なくなったからだ。
 まる半年ぐらい見なかったんじゃないかな。アパートの窓も奥さんの気配がうつることもなく、どうしたんだろうと僕は心配した。心配はしたが、消息を確かめる方法はないし、第一、そんな立場でもない。アパートには、時々人が出入りしている気配はあった。しかし、奥さんの姿を見かけることはしばらくなかった。
 僕が半ば奥さんのことを忘れかかった頃、奥さんはふっと現れ、ガードレールにもたれかかって子どもの行き来を見守っていた。多分夏だったと思う。奥さんは薄着で、薄手のシャツの下には装具が透けていた。転んで骨折し、コルセットを装着しているらしかった。僕が声をかけると、奥さんは嬉しそうな顔をし、事の顛末を離してくれた。階段で転んだらしい。
「でも、また歩けるようになってよかったですね」
 僕は笑ってそう言ったけど、老人の転倒時後は命取りになりかねないことを知っていた。年配の知り合いが転んで骨折し、そのまま生きる気力を失って静かに浄土へと旅立っていくのを、僕は何度か経験している。奥さんは無邪気に笑って「本当によかったよ」なんて応えてくれたけど、内心、嫌な感じはしていた。

 そして、それから一年ほど経った頃だろうか、また奥さんは姿を消した。
 しばらくの間は以前と同じように、子どもが登下校する時間になると表に出て往来を見守る姿を見られたけど、コルセットをつけて動くのは明らかに不自由そうだった。最初は前と同じように、晴れていればいつでも奥さんの姿が見られたけれど、だんだん日があくようになり、また秋風が吹く頃には奥さんの姿が消えた。それでもしばらくは窓に灯りがあった。しかし、そのうちに窓からは奥さんの気配が消え、ある日僕が子どもを園に送っていくと、奥さんのアパートには内装工事の業者が出入りしていた。

 奥さんの消息を僕は知らない。
 最後に見かけた時、そんなに顔色悪そうにしている様子もなかったし、多分、施設にでも入居なさったんだと思っている。元気でいてくれたら・・・というのは贅沢な望みかもしれないが、時々はあの朗らかな笑顔が見られる程度には穏やかな生活を送っていてくれたらいいのに、なんて考える。
 奥さんの姿を見なくなってもう数年経つ。今は下の子どもが通園しているので、僕は奥さんの住んでいたアパートの前をまだ時々通る。アパートの窓にはカーテンがかかっているが、灯りが点いているのを見たことはない。人影もないから、誰が住んでいるのか、あるいは空き家なのか、それすら分からない。月日が経つとともに、奥さんの顔を思い出すことはだんだん難しくなってきた。写真を撮っておけばよかったと後悔するのは、こういう時だ。灰色の窓を見上げて奥さんのことを思うのに、笑顔の印象だけは覚えているのに、姿かたちの輪郭線はどんどん曖昧になってくる。奥さんは今幸せだろうかなんて考える、その僕の思考の輪郭線も、時の流れに洗われて河原の石のように丸く削れ、やがて砂粒に成り果てて、忘却の川に溶け去っていく。