笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

市ヶ原


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 丹念に磨ぎ、少なくとも三十分はその水につけておいて火にかける。薄手のコッヘルで上手に米を炊くための技術はすでに身につけている。大切なのは火加減と水蒸気の圧力だ。そのために重要なことは、匂いと、音。コオロギの音色と共に米の炊き上がる音に耳をそばだてるのだ。

 

「旅々オートバイ」 基樹文生 新潮文庫

 

 市ヶ原は、布引山の奥にある、砂防ダムにできた石ッ原である。
 中央区、灘区あたりで子ども時代を過ごした人なら、遠足で行ったことがあるんじゃないだろうか。僕ももちろん行ったことがあるし、今でも時々散歩で訪れる。ただの石ッ原なので、直火でたき火ができる(もちろん火の管理と後始末はきちんとね!)。僕は景色を眺めて帰るだけだけど、気候のいい季節の土日には、バーベキューを楽しむ人がたくさんいる。
 東京出身の妻が、その市ヶ原に「行ったことないんだよね-。一度行ってみたいなー」と言った。たまたま平日の午前に休みができて、天気がよかったので、妻を誘って一緒に行ってみることにした。
 僕には馴染みの道、馴染みの場所だから、軽装で出かけた。妻も僕のまねをして普段着で出かけた。僕は距離も分かっているし坂の具合も知っているので何でもなかったけど、その道の加減の分からない妻にとってはなかなか厳しい行程だったようで、途中でゼーハー言っていた。でも、市ヶ原に着いてみると、思いのほか気に入ったらしく、山中にぱっと開けた石ッ原の平野を楽しそうにぶらついていた。

 市ヶ原といえば、飯盒炊さんだ。
 神戸の市立小学校を卒業した僕にとって、市ヶ原といえば飯盒炊さん。今の小学生にとってもそうなのかどうかは知らないけど、昭和生まれの神戸っ子で布引山が遠足圏内の者にとっては、「うん、そうそう」とうなずける話だと思う。長峰山の奥にも飯盒炊さんができる場所があって、僕はそちらにも行ったことがあるが、でもとにかく市ヶ原といえば飯盒炊さんなのだ。
 あの飯盒なる代物、僕の人生では後にも先にも、小学校時代に使ったのが最初で最後だ。飯盒で米を炊く技術は小学校で散々たたき込まれたけど、その後、その技術が役に立ったことは一度もないばかりか、そもそも飯盒と出会う機会がない。あの飯盒という器具を生活や仕事のツールとして使っているという人はまわりにいないし、もちろん僕も持っていない。
 それでも、飯盒炊さんを楽しんだ経験は、今でもいい思い出である。薪の燃える煙の中から、米の炊ける甘い匂いが湯気とともに香ってくると、わくわくしたものだ。屋外での調理は、とても楽しい。吹きこぼれがひいて、火から下ろした飯盒を逆さにしてご飯を蒸らす。しばらく待ってから飯盒の蓋を開けると、日の差し込んだ飯盒の中で真っ白な米粒がキラキラと輝いている。外には焦げ目がついて苦く、中はやや水気が多い。家でこのご飯が出たら絶対文句を言うに決まっているのに、飯盒を使って自分で炊いた米を青空の下で頬張ると、たまらなくうまい。

 妻と、一番下の子どもがもう少し大きくなって市ヶ原まで上れるようになったら、ここでバーベキューでもやってみようかと相談しながら、山を下りた。相談しながら、じゃあそのために飯盒を手に入れてもいいなあ、なんて考えた。キャンプ好きの知り合いに持っていないか尋ねてみてもいい。僕は今でも飯盒を使えるだろうか? 多分、使えるだろう。水加減は、指先の感覚でで覚えている。