笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。


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 ・・・翁、「月な見給ひそ。これを見給へば、ものおぼす気色はあるぞ」と言へば、「いかで月を見ではあらむ」とて、なほ、月出づれば、出で居つつ、嘆き思へり。
 
竹取物語(全)」 作者不詳/角川書店=編 角川ソフィア文庫

 

 子どもの頃、本気で月に行きたいと思っていた。
 アポロ11号はとっくに月面着陸を済ませていた。セピアにくすんだ画面の中、人形みたいに動きのぎこちない宇宙服の人物がぴょーんぴょーんと飛び跳ねる映像はもうお馴染みだった。月って場所は、その気になれば行ける場所だと僕は思っていた。もちろん、月に行くのは簡単なことではないと、それぐらいのことは分かってる。でも、あの夜空の黒幕にぽっかり空いた、でっかいパンチの穴みたいな月は、異世界に通じる光の通り抜け穴ではなくて、地球の周りを周回する衛星にすぎず、人間がこの足で踏みしめることのできる岩と砂の大地があるのだということは、はっきりと手触りをもった実感として僕は感じていた。
 そのことを友だちに話すと、「行けるわけないやろ。アホちゃうか」と笑われた。
 彼が「行けるわけない」というのは、科学的困難さというよりは経済的な意味での不可能性について言及しているのだと、分からないわけではない。逆に言えば彼だって、経済的な困難を乗り越えれば、月に行くことは可能だということぐらい知っていることも、僕には分かっている。それでも何となく、自分が絶対に可能だと思っていることを一笑に付されたことは、ちょっとショックだった。
 で、結局、僕はまだ月には行っていない。
 僕だけじゃない。アポロ計画によって人類が月面着陸を果たしてからもう半世紀も経とうとしているのに、人間はもう月のことなんか忘れてしまって、地上で境界線争いに明け暮れているようにさえ見える。これは科学的好奇心の後退ではなかろうか。僕は悲しい。
 狂ってるって疎まれてもいい、もっと野心的な夢を見ていたい。そういう人が増えると、世界はちょっと暑苦しくなるかわりに、とっても楽しくなるんじゃないかな。