笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

一の谷


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 平家方は騒ぎに騒ぎ、慌て、もしや海なら逃げられるかと思う。海なら助かるか。一の谷の前方の海へ多くの者が駆け入る。
 
日本文学全集09 平家物語 古川日出男(訳) 河出書房新社

 

 平敦盛首塚須磨寺にあったが、では残りの胴体はというと、須磨浦公園の西端に敦盛塚がある。
 敦盛塚は山陽の須磨浦公園駅が最寄りだが、JRの駅は近くになくて、須磨駅塩屋駅のちょうど中間あたりになる。このエリアは源平合戦で有名な一ノ谷で、山地が海岸線の側にまで迫り出しているために平地がほとんどない。そして、その山際から海まで五十メートルもないような細長い土地を海側から順に、JR、国道、山陽電車が段々になって、何とか海に落ちまいと身を寄せ合いながら東西に走っている。山陽などはほとんど、山の斜面を走っているといってもいいくらいだ。
 僕が須磨から向こうに行く時は、たいてい車だ。子どもはすぐに大きくなって服が間に合わなくなるので、垂水のマリンピアに時々行く。そのときにはこの狭い国道を車で通るのだが、そうするとランニングや散歩をしている人をよく見かけて、常々、海を見ながら歩くのは気持ちよさそうだと思っていた。なので、須磨に寄ったついでに、塩屋のあたりまで歩いてみることにした。塩屋といえば、旧グッゲンハイム邸があり、ここはちょっとした思い出の場所でもある。僕は、天気のいい日を選んで、西へ歩き始めた。

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 車で何度も通った道だから、国道二号線の須磨ー塩屋には信号がほとんどないことは知っていた。国道の海側と山側の両方に歩道があるのだが、一ノ谷の交差点(交差点と呼べるのか?)から塩屋の駅前までどちら側を通るのか、国道を渡って海側と山側を選び直すことはできない。だから、海側を歩くのか山側を歩くのかは、一ノ谷の交差点で決めておく必要がある。僕は今回、敦盛塚の写真が撮りたかったので、山側を選んだ。海側を選ぶと、JRの線路が歩道とほとんど隣り合わせになっているので、電車好きの人はこっちがいいかもしれない。実際、脚立にのぼって巨大な望遠レンズを備えたカメラを構え、海沿いの線路を疾走する電車を狙っているフォトグラファーを時々見かける。
 僕がここを訪れたのは、年の暮れも迫った冬の日の午前であるが、穏やかな日差しにめぐまれ、風もそう強くない。少し歩くと首のあたりが汗ばんで、マフラーがいらなくなるほどだ。冷え込んだ日に歩くのはちょっと辛そうだが、今日みたいに穏やかな陽気なら、散歩にはうってつけの道だ。ガードレールをはさんですぐそこの国道を巨大なトレーラーが猛スピードで駆け抜けていくのはちょっと怖いけど、広々とした海と空を眺めながら歩くのは気持ちがいい。

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 西に向かって、僕は歩き続ける。バスターミナルを過ぎると松林の中に須磨浦公園があり、巨大なブロンズ像や一の谷の合戦を伝える石碑の前を通り過ぎる。須磨海釣り公園が海面に照り返す朝日の光の海の中に浮かんでいる。海釣り公園は昨年の台風でうけたダメージのために休園中らしい。台風の傷跡は、山肌にも見え、去年くずれた山の一部は、今でも生々しい黄土色の傷跡がそのままだ。
 ロープウェイ乗り場を過ぎると、ガストがあり、その手前に敦盛塚がある。巨大な五輪塔は、なかなかの迫力だ。但し書きによれば、国内有数の大きさであるらしい。
 正直に白状すると、僕は平家物語をきちんと通読したことがない。高校の古典の授業で習った他には、抄略版を読んだ以外には、さらっと流し読みをしたことがあるだけだ。けれど一の谷の合戦と敦盛討ち死のくだりは、高校の授業でも抄略版でも省かれることはない。それだけ人気があり、名文でもあるということだろう。美貌の若武者、平敦盛。長きにわたって愛され続ける悲運の平氏の人気ぶりを垣間見た。

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 敦盛塚を過ぎて西へ西へと進むと、道はさらに細くなる。片側二車線だった道の西行きが一車線に減る。歩道も、すれ違うのが難しいような幅になる。さっきまで少し高いところを走っていた山陽電車が、手を伸ばせば届きそうなところまで降りてきて、ところどころは同じ高さになり、踏切の向こうはすぐ斜面なのに、岸壁にへばりつくようにして車道もあれば住宅もあるのが不思議だ。
 歩き続けていくと、やがて住宅街と駅が見える。塩屋だ。
 駅の手前で踏切を渡り、狭い路地をすこし上ると旧グッゲンハイム邸にたどり着く。

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 まだ娘が歩けるようになったばかりの頃だったと思う。旧グッゲンハイム邸では時々コンサートやライブをやっていて、僕たちはここにサックス奏者の多田誠さんのライブを聴きに来た。
 それは、素晴らしい夜だった。塩屋の海と、夏の夜風と、サックスとフルートの音色で楽しむジャズナイト。特にフルートに持ち替えて演奏した「スパルタカス」は素晴らしかった。僕と妻が楽しんだのはもちろんだが、娘も楽しかったようで、始終機嫌がよく、ぐずることもなかった。やがてコンサートが終わり、客が席を離れ始めたのだけど、僕たちは混雑を避けるために、会場の中でライブの余韻を楽しんでいた。そして、エントランスのざわめきが少し静かになった頃を見計らって、僕たちは会場を後にしようとした。
 そこへ、ライブを終えて別室に下がっていた多田さんがやってきて、娘とすれ違う時に笑顔を見せ腰をかがめてこうおっしゃった。
「今日はありがとう。うるさくなかった?」
 娘はちょっと微笑んでうなずいた。僕と妻は驚いた。娘は人見知りで、初対面の大人に声をかけられると石化の呪文をかけられたように固まってしまうのが常なのだけど、その娘は確かに、多田さんに声をかけられて笑顔をみせ、うなずいた。
 それから多田さんは、ライブを聴きに来た私たちに懇ろにお礼を述べられ、娘と気さくに別れの挨拶をしてくれた。言葉数は多くなかったけれど、多田さんのフランクな人柄と聴衆を大切にする姿勢がうかがえた。
 帰り道、娘は「コンサート、楽しかったねえ」と繰り返した。娘は今、音楽が大好きで、去年からはピアノを習っている。きっと、旧グッゲンハイム邸で出会った多田さんのおかげだと、僕は信じて疑わない。

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 僕たち夫婦はそれから、もう二人の息子を授かって、育児は多忙を極めている。今、コンサートやライブに行ける余裕はないけれど、もう少し子どもに手がかからなくなったら、またゆっくり音楽を楽しみたい。できればまた、旧グッゲンハイム邸で、多田誠さんのライブが聴きたいな。穏やかな風の吹く夏の夜に、スパルタカスを、フルートで。