笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

「六甲道駅」 片思いのフォレスタ

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 ジェイは僕にビールを何本かごちそうしてくれ、おまけに揚げたてのフライド・ポテトをビニールの袋に入れて持たせてくれた。
「ありがとう。」
「いいのよ。気持ちだけ。・・・でも、みんなあっという間に大きくなるね。初めてあんたに会った時、まだ高校生だった。」
 僕は笑って肯き、さよなら、と言った。
「元気でね。」とジェイが言った。
 8月26日、という店のカレンダーの下にはこんな格言が書かれていた。
「惜しまずに与えるものは、常に与えられるものである」
 

 


 昔、宝殿出身の知り合いが六甲道で店をやっていたのを思い出した。彼は、僕が高校生の頃に初めて会った時には就職したばかりの二十一歳で、いつか店を持つために貯金しているのだと言っていた。その彼が、僕が高校を卒業する頃、ついに会社をやめて自分の店を持ったと聞いた。六甲道のフォレスタの地下にその店はあった。おしゃれで陽気な彼らしい、気の利いた店だった。僕は彼の店によく足を運んだが、その後横浜の大学に進学してしまい、以来彼と一度も会っていない。
 最後に来た日から十年以上経って久しぶりに彼の店があった場所をのぞいてみたら、もう店は変わってしまっていた。
 

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 店を持ってから、彼は自分のことをマスターと呼んで欲しいと言っていた。彼の前ではそう呼んだけど、形のいい丸刈り頭とマリオネットの骨格みたいな細身の体つきがルパン三世に似ていたので、僕は心の中で彼をルパンと呼んでいた。愛想がよく、誰にでも優しく、話が面白く、カウンターの中では踊るように仕事をした。トランペット吹きで、大阪あたりでスカバンドをやっていると言っていたっけ。残念ながら、僕は彼のバンドのライブに行ったことはない。だから、彼の出すコーヒーとワッフルが最高においしいのは知っていたけど、トランペットの腕前については知らない。
 僕は彼の店に、コーヒーを飲みによく行った。普段、三宮界隈で生活している僕にとって六甲道は近い場所とは言えなかったけれど、学校や受験勉強のことでいきづまった時にはそこへ行くこと自体がいい気晴らしになった。店はキャッシュ・オン・デリバリのシステムで、まだ世間知らずだった僕には、その払い方自体がかっこよく思えた。店はよく流行っていたし、常連も多かった。店が混みルパンがカウンターの中でくるくる踊っている時には、常連同士で話をすることもあって、それも楽しかった。
 常連は年齢も性別も色々だった。でもまあ、ルパンが二十代半ばだったから、その年齢の前後の客が一番多かったかもしれない。僕は一番若い方だったと思う。あまり年配の人はみかけなかったけど、白髪の紳士が店の隅でひっそりとカップを傾けていることもあった。でも、せいぜい三十歳ぐらいが上限だったような気がする。

 高校時代の同級生である浪人仲間をつれてコーヒーを飲みに行ったことがあり、そのときも店はちょっと混んでいて、ルパンは忙しく踊っていた。僕たちがカウンターでぼそぼそ話してると、テーブルにいた若い男の客が僕たちの会話に割り込んできた。
「君たち、大学生?」
 僕たちは、それを隠す理由も知恵もなかったので、自分たちの身分を正直に話した。男はふうんと興味なさそうにうなずいただけだった。僕たちは、話しかけられたら話しかけかえすのが礼儀だと思っていたので、彼を会話に引き込んだ。男は、自分から話しかけてきたくせに、もう僕たちに対する興味はほとんどないかのように、明らかにめんどくさそうな様子だった。
 男は最初、自分の身分を名乗らなかった。ただ、若い男とは言っても僕たちよりも年上なのは明らかだと、話しぶりや容貌から分かった。どう見ても学生には見えなかったから、誰かが何の会社に勤めているのかと尋ねると、ちょっと言いにくそうにこう応えた。
アムウェイだよ」
 僕たちはその会社を知らなかった。僕たちが戸惑った表情をするのを見て、彼も戸惑ったようだった。自分の会社を知らない人間がいないことなど、想定外だとでもいった様子だった。その後、この男と店で顔をあわせることは一度もなくて、ルパンに尋ねても「最近こないね」と言うばかりだった。
 

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 常連には女性もいた。ひとり、ルパンに熱心に話しかける当時の僕と同年代の女の子がいて、僕がルパンと親しいと分かってから、僕ともよく話すようになった娘がいた。丸顔にぽてっと厚い唇が愛らしい娘だった。ある年の秋ぐらいから見かけるようになって、よく行くとは言っても十日に一度ぐらいしか行かない僕が、行けば必ずその娘に会ったから、彼女は毎日来ていたのかも知れない。
 彼女はよくしゃべった。店が混んでルパンが忙しくてもお構いなしで話しかけるので、あの温厚なルパンがちょっと迷惑そうな顔をするのを時々見た。そんなときは僕が彼女に話しかけて、彼女の話し相手になる。話し込んでコーヒーが冷めると、ワッフルを焼く手を休めて、ルパンは僕のコーヒーを取り替えてくれた。
 実を言えば、僕は彼女のことをちょっと気に入っていた。陽気に話すし、笑顔が素敵だった。その頃にはもう、横浜の大学に行くと決めていたけれど、もし第一希望に落第して関西の滑り止めの大学に進学することになったら、告白してもいいなと思っていた。
 ルパンは年末に、店でクリスマスパーティを開いた。常連を集めて、音楽をかけ、楽しく踊ろうという趣旨のパーティで、僕も勉強の息抜きに友だちを誘って行った。アムウェイの人はいなかったけど、この店でよく見る人たちがたくさんいた。もちろん彼女もいた。僕たち常連はフロアで踊り、ルパンはカウンターの中で踊った。僕は自分の誘った友だちをほったらかしにして、彼女と踊り、後で仲間には小言を言われた。
 その夜が、僕が彼女を見た最後だった。年が明けて僕がルパンの店に新年の挨拶に行くと、珍しく彼女がいないことに気づいて、来ていないのかとルパンに尋ねると「来ないね」とルパン応えた。
 

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 その年のセンター試験神戸大学のキャンパスが会場だった。仲間はみんな倫理・政経を受験していたけれど、地理の試験の出来映えに自信のあった僕はそれを受けなかったので、浪人仲間より一足先に試験会場を出て、一月の鉛色に凍った空に背中を押しつぶされながら、六甲の坂を下った。そして息抜きに、ルパンの店に寄った。
 店には珍しく、客の影がなかった。
「テストは、どうだった?」
 僕にルパンが尋ねた。センター試験の手応えは悪くなかったのでそう応えると、ルパンは「じゃあ横浜に行けそうなんだね」と笑った。僕が横浜の大学に進学しようとしていることはルパンも知っていた。ルパンはお祝いに、コーヒーをおごってくれた。僕はありがとうと言って、凍えた手をカップで温めながら、コーヒーを飲んだ。
 客は僕しかいなくて、ルパンは暇そうなのに、僕たちの会話ははずまなかった。いつもなら、何でもない事を何の気負いもなくいくらでも話せたのに、その日の会話は空気の抜けたボールみたいで、ルパンはそのうちワッフルメーカーを鉄ブラシでごしごしと掃除し始めるはめになった。その背中に、僕はなんとなく話しかけづらくて、コーヒーをさっさと飲んでしまうと、帰り際はいつもそうしていたように、「また来ます」と挨拶して店を出てしまった。
「また来てよ」
 僕が店を出る時、ルパンは僕にそう声をかけた。でもその後、僕は二次試験の準備もあったし、大学の合格が決まってからは引越のあれこれで忙しくて、結局、ルパンの店に行ったのはそれが最後になった。
 大学に入ってからも、金と時間のない僕はほとんど神戸には帰らず、帰省しても短い滞在で、その数日の帰省も友人との飲み会やなんかで埋まっていて、ルパンの店には顔を出さなかった。ルパンの店が三宮あたりだったら、何かのついでに寄ったかも知れない。でも、六甲道に行くには、「わざわざ六甲道に行く」という感覚が重荷で、脚がむかなかった。
 そして、僕はやっと神戸に戻って腰を落ち着けたというのに、もうルパンの店はない。ルパンの行方も分からない。
 

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 あの日、「また来てよ」と言ったルパンの声が、僕の耳の奥でこだましている。誰かがルパンに僕の事を尋ね、ルパンが「最近来ないね」と応えているのが聞こえる気がする。なのに、フォレスタの地下街をぐるぐると歩き回ってみても、僕はもうルパンの店がどの区画にあったかさえ思い出せなくて、まるで告白せずに終わってしまった片思いのような息苦しさが僕の喉を絞める。