笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

不二家


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「なあ緑子、あんた東京初めてちゃうの。なあ、どう、大阪とあんまり変わらんくない?」とわたしがささやかに話しかけても首を少し縦に動かすだけで、そのほかは一言も喋らず無表情。

 

「乳と卵」 川上未映子 文春文庫

 

 予備校時代の友人と、島村楽器にベースの弦を選びに行き、結局何も買わずに店を出た後、お茶でも飲もうかということになって僕たちは喫茶店を探した。彼女が「一度行ってみたかった」と言って軒先まで行った店は、休店日だった。「じゃあどこにする?」「どこでもいいよ」と話しながら歩いていると、不二家の前にきた。僕たちはペコちゃんに迎えられて不二家に入り、パフェをつつきながら一時間ほど話し込んで別れた。

 不二家に、最後に入ったのがいつだったか、僕は全然思い出せない。子どもの頃に、不二家のケーキを買ってもらったような記憶はあるが、レストランや喫茶を利用したことはないような気がする。いつも、前を通り過ぎる店、というイメージがある。昭和レトロをちょっと感じさせる店構えは魅力的なのだけど、甘い物を好まない僕がコーヒーを飲むために選ぶ店ではないのだろう。
 二十代の頃、首都圏に住んでいて、都内に出ると駅前でよく不二家の看板を見た。用はないが目立つので、前を通れば「あ、不二家だ」ぐらいのことは思った。後で道に迷ったとき、不二家の看板を覚えていると引き返すための目印になる。道を人に尋ねるときにも便利だ。そのへんの人をつかまえて「不二家の方からきて、引き返したいんですけど」と訪ねると、「ああ、不二家だったら、あっちの・・・」と応えが返ってくる。どういうわけか、訪ねた相手も不二家の場所は大抵知っていた。
 僕はなじみのない東京の街を歩くとき、この手をよく使った。当時はまだスマホがなかったり、マップもあてにならなかったりしたから、不二家にはよく助けられた。

 そういう訳で、僕は不二家の看板を見ると東京と、まだ東京にあまりなれていなかった頃の自分を思い出す。今はマップの精度も上がったし、僕自身もかなり東京に慣れた。もう今は、不二家の看板をたよりにしなくても迷わずに歩ける。
 先だって、多分初めて食べた不二家のパフェはうまかった。懐かしい味がした。


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