笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

夜景


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 海の水には、ねばり気があるようだ。タールの海だ。私の下腹にもタールの海がある。うねうねと、予兆と甘美な快楽が打ちよせる。辷りだす船もなければ、つり糸をたれる者もいない。この地球上で最大の容器は、ただじっと身をひそめている。もし、私か母かが、ひとつまちがえば、呑みこまれるかもしれない。
 
「海を感じる時」 中沢けい 講談社文芸文庫

 

 夜景の有名な街はいくつもあるけれど、神戸も日本屈指の美しい夜景の街だと、僕は同意できる。神戸の夜景は美しい。
 一般に、神戸の夜景といえばおそらく、ビーナスブリッジや布引ハーブ園あたりから三宮や県庁あたりを見下ろした風景が知られているんじゃないだろうか。このポイントから写真を撮る場合はおそらく、市役所や県庁の高層ビル群を主題にし、遠景に橋やタワーのようなシンボリックな構造物をとらえつつ、東西に細長い神戸の街が帯状に画面を横切るように切り取ることになるだろう。
 もちろん、そうやって見下ろす夜景はきれいだ。例えば、余所の土地から知り合いがきて「夜景が見たい」と僕に頼めば、まずは車でビーナスブリッジに行くか、あるいはナイター営業のロープウェイに乗せてハーブ園山頂駅に上り、その夜景を見せるだろう。でも、もし僕がひとりで「たまには夜景でも見ようかな」ってふらりと散歩に行くなら、山には行かない。絶対に、海だ。そして、海から神戸の街を眺めて、見上げる夜景を楽しむ。

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 神戸は海と山に挟まれた細長い街だ。南北方向には恐ろしく狭くて、山際にある新神戸駅から生田川沿いにその河口まで歩いても、三十分ほどで港に着いてしまう。その細い街の人口がふくらむと、細長い風船を膨らます時に縦に伸びると同時に太くもなるのと同じように、街が太くなる。そして、海の中に街をつくるわけにはいかないから(人工島はあるのだけど限りがある)、街は自然と、山の斜面を這い上がるように拡大していく。
 例えば突堤の先端とか人工島の北端の公園あたりから、街の方をふり返ると、山の斜面に星空のような街の灯りがそそり立っていくのが見える。僕は、この風景が好きだ。こういう夜景は、余所では見られない。少なくとも僕は、神戸以外に知らない。潮の香りを感じながら、夜景が屏風のように立ち上がっているのを眺めるのは最高だ。
 何より、港街・神戸の、港から夜景を眺めるというのがいい。ビーナスブリッジやハーブ園からの夜景も確かにきれいなのだけど、残念ながらそれでは、僕は山に出かけなければならないことになる。山も悪くないが、せっかく港街を楽しむのだ、港から夜景を楽しみたいじゃないか。
 僕は港が好きだ。生まれは神戸で、横浜にも長く住んだ。函館や長崎もいい港だ。焼津だとか勝浦だとか、ああいう港もいい。伊豆や紀伊を旅していると見かける、名前を聞いても覚えていられないようなちょっとした入り江の漁港もいい。僕は多分、山梨だとか岐阜だとか、海のない土地に住んだら干からびて死んでしまうのではないかと思う。住んで慣れてしまえば平気なんだろうけど、試そうという気にはならない。潮風の、あのべたついた磯臭い香りがない場所では、生きていける気がしない。
 たぶん、そういう血が僕には流れているんだと思う。
 そういえば、祖父母は僕もひくぐらいの塩辛党だった。塩をたっぷりつけた手でにぎった塩鮭のおにぎりに、味付けのりを巻き、それを醤油にひたしてかじりつくような祖父母だった。彼らは、過剰な程の塩がなければ生きていけない、海辺の民の一族にちがいなく、僕はその血をひいている。ちなみに東京出身の僕の妻は、飯を握る時手には塩をつけず、巻くのは焼き海苔。あまりに薄味なので醤油にひたして口にいれたら怒られた。
 妻の握る塩気の乏しいおにぎりの味には、もうさすがに慣れたけど、やっぱり海の見えない土地では、まだ暮らせない気がする。そういうわけで僕は、潮風の香りを感じつつ港から見上げる神戸の夜景が好きだ。
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