笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

新港第一突堤

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 調子のいい時もあれば悪い時もあるが、いい時はなるべく出かけて運動するようにしている。ここのところイマイチな日が続いていたが、雨上がりの爽快な晴れの朝、久々に調子がよかったので、散歩に出かけた。
 最初は、メリケンパークにでも行こうかと思いながら鯉川筋を下っていたのだけど、近頃再開発の進んでいる新港エリアに行ってみようと思い直し、国道を渡ってから東に曲がって、船だまりの岸壁に沿って歩いた。このあたりは以前と全然変わらないなあ。いつかは再開発されるのだろうか。僕はこのまま、港らしい風景を残して欲しいと思うけど、さて、どうだろう。

 パンデミックで出歩くのを控えるようになってから、新港の再開発は随分進んだ。以前は倉庫ばかりだったエリアに、温泉施設だの水族館だのができている。今工事中なのは、高層マンションだろうか。眺望はいいだろうけど、津波がこわいぞ。誰が住むんだろう。住むというより、別荘って感じかもしれないね。夏の花火を見るのにはよさそうだ。

 ふらふらっとその辺を歩いて、「ふーん、こんな風になったんだ」と納得してから、僕は突堤の先端の方に歩いた。温泉施設の海側が、ちょっとした広場になっている。ここまで歩いてくるのはちょっと骨が折れるけど、周囲に視界を遮るものが何もなく、開放感があっていい。ここは以前と変わらないな。よかった。
 僕が中高生の頃は、メリケンパークにまだホテルがなかったので、いまの第一突堤のここみたいに、眺めがよくて好きだった。メリケンパークの方はその後、周囲に建物が増えて、窮屈になってしまったのが残念、ここは、このまま置いておいて欲しいなあ。神戸の沿岸部で、歩いて来られる範囲で、これだけ気持ちいい場所って、もう他にない気がする。灘浜の方の公園とか、六甲アイランドの南端なんかもいいけど、あのあたりは徒歩だとちょっとアクセス厳しいんだよね。第一突堤は、今の僕が徒歩で行ける限界だと思う。徒歩で行ける、気持ちのいい港。残しておいて欲しい。

サンパル

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 三宮の東側、中央区役所一帯の再開発が行われるようだ。
 中央区役所は旧市役所跡地に移転されるらしい。勤労会館の機能の移転先は知らない。図書館はKIITO内に移されるとか。サンパルも取り壊しなんだって。
 サンパルに入居していたテナントは、すでにほとんどが引っ越してしまって、ビル内はシャッター街になってしまった。それでもまだいくつか営業している店舗がある。しかし、残りのお店ももう、夏を迎える前にどこかへ移動するのだろう。

 今日の時点でまだ営業している店舗のうちのひとつに、富士商会がある。文房具のお店だ。ここはよく利用した。今でも急ぎで欲しい文房具はここに買いに来る。今ではほとんど見かけなくなった町場の文房具店の、ちょっと大きいお店、という感じ。店内のほとんどの商品が二割引で販売されている。

 今時ネット販売なら、三割引だって珍しくないけど、反対に定価より高く売られていたり配送料がかかったりすることもあるので、一律に二割引という売値はわかりやすく、安心感がある。
 サンパルがなくなると分かった時、この富士商会がどこに移転するのか気になった。お店に寄った時にレジのところで店員さんに尋ねてみると、ほんの数十メートル先だと聞いて安心した。二階にあった画材屋さんは住吉の方に行ってしまったと知っていたので、もしかして・・・と不安に思っていたいのだ。
 僕が文房具を買う時、まずメーカーサイトで希望販売価格(いわゆる定価)を確かめ、次にネット販売での値段を確かめる。大抵、七掛けぐらいで売っているのだけど、欠品していたり、なぜかプレミア価格になっていたりする場合があって、そうすると僕は富士商会に行く。あと、ネット注文したのでは使いたいタイミングに間に合わない時も、頼りにするのは富士商会さん。

 サンパルには、いざって時に頼りになるお店、みたいな感じのテナントがたくさん入っていた。画材屋さんとか、ラケット屋さんとか。サンパルに入っていたお店で僕が利用するのは富士商会だけだったから、近所に移転なら大して困らないが、画材屋さんみたいに遠くへいってしまうお店のお客さんは、ちょっと大変そうだ。

 現市長、三宮駅周辺の再開発を強力に推進する意向のようである。それで街が活気づくなら、僕は別に反対はしない。でも、そのために小さな犠牲がたくさんあることは、心に留めておいて欲しいな。そして、だからこそ、神戸を素晴らしい街にしていただきたい。

KOH-I-NOOR 5306/できるなら何してもいいってもんじゃない。

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 先だって衝動買いしたコヒノールの芯ホルダー、使い道に困っている。
 別に、無理に使わなくたっていいけど、買った以上は使いたい。目的と手段が逆転しているのはよくないことだが、僕は貧乏性なので、払った分のお金のモトはとりたいタチなのだ。何をもって「モトをとった」と言えるのかというのは感覚的なものだけど、とにかく僕が納得できるように、モトはちゃんととりたい。だから、使いたい。

 とはいえ5.6mmの芯には全然用事がないので、先だってボールペンのリフィルをプチ加工してクラッチに噛ませてみたら、具合よくはまったから、しばらくボールペンとして使用していた。もちろん、問題なく筆記できた。という訳でしばらくはそのまま使っていたけど・・・なんだろうな、やっぱり、書きやすくはないのだ。
 ボールペンのリフィルは、三菱uniのジェットストリーム。僕の好きな低粘度インクだ。ペン先は、純正の軸にセットした時と同様、よく滑る。何の問題もない。いい書き心地だ。そう、いい書き心地・・・。
 あれれ、なんだろう、おかしいな、気持ちよく書けているんだけど、妙にストレスがたまる。日記をつけたり、ちょっとメモをとったり、お絵かきしてみたり、何にでも使ってみるのだけど、何か少し、しっくりこない感覚が残る。ヘンだなあ。
 やっぱり、芯ホルダーをボールペンとして使うという方法自体が誤りだったか。そう思って、半分ほど使ったジェットストリームの芯を、もとの5.6mm芯に戻した。しかし、やっぱり太すぎるので日記だのメモだのには使えない。なので、スケッチブックに落書きするのに使ってみた。
 あ、気持ちいい。最高。
 そもそも、5.6mmの用途はスケッチやドローイングだ。ある用途に最適化された道具を、その用途のために使う。気持ちよくて当たり前である。
 文字を筆記するためのペンよりはいくらか重い軸を、振り回すようにして走らせると、思った通りの線が紙上に残る。芯を長めに出して、寝かせて擦りつけたり、立てて筆圧をかけ、濃いラインを作ったり、自由自在。僕の絵はまずいけど、お絵かき自体は好きなのだ。これ、楽しい。遊んでる場合じゃないと思いつつも、ついつい、遊んでしまった。

 そう、道具には、用途ってものがある。
 例えば、ハサミなら「切る」ことが用途なのであって、「書く」ことは用途ではない。紙を切ったり、紐を切ったり・・・それがハサミの仕事だ。ただ、緊急の場合には、ハサミはマイナスドライバーになったり、オイル缶をあけるテコになったりすることもある。その場合、一応その仕事をこなすことはできるけど、快適に作業できるとは言い難いし、失敗したり刃こぼれしたりするリスクもある。
 そして、同じ「切る」用途でも、切りたいものによって道具の仕様は少しずつ違ってくる。紙細工に使うハサミと、キッチンばさみでは、大きさも形状も違い、キッチンばさみで切り絵をするのは難しいし、工作用のハサミで魚を捌くのはほとんど不可能だ。

 筆記具にも同じ事が言えると思う。
 何を書くのかによって、どんな筆記具を使うのかが決まる。
 大量の文字を連続して書き続けるなら、僕の場合、ハード調のニブをもった万年筆が最適だ。なめらかに滑るペン先、カッチリ感のある筆記のタッチ、10mm以上の太軸と13cm程度の適度な長さ、重心が人差し指の間接の下あたりにくる重量バランス、そして20g前後の重量。これが8mm幅のノートに文字を書き続けるための僕の最適解だと思っている。
 同じ用途でも、消して訂正する必要があれば、シャーペンでもボールペンでも構わない。その時は、サイズ、重さ、バランス、タッチの条件が同じなら問題ない。
 逆に、用途が違えば、ペンが変わる。
 子どもに算数を教える時、色を切り替えながら数式や図を書くのには、多機能ボールペンがいい。必要に応じて即座に色が変えられるのは便利だ。小さなノートに小さな文字をぎっしり書くなら、細軸のペンの方が書きやすい。定規を使って図表を書くなら、製図用のシャープペンシルを選ぶ。五線紙に音符を殴り書きするなら0.9mmのシャープが楽だし、同じ楽譜でも合奏のメモを書き込むなら1.3mmで書く文字の太さと大きさが目に入りやすい。そして、スケッチブックに気持ちよく落書きするなら、5.6mmの芯ホルダーだ。

 逆に言うと、ペンが違えば、書く言葉も違ってくるんじゃないかとさえ思う。クレパスみたいなもので物語を書けば、いしいしんじみたいなお話ができあがりそうだし、マイスターシュテックの149なら昭和の大作家みたいにギラギラした小説が書けそうな気がする。

 そうそう、近頃の小説家は多分、コンピュータに直接タイプして執筆していると思うのだけど、多分中には手書きの人もいて、文章を読むと「あ、この人多分、手書きだな」とか「あー、この人は絶対パソコンだ」っていうのが、なんとなく分かる。もちろん、答え合わせをしたことはないので間違っているかもしれないが、その書き手が使っている道具によって、言葉の勢いとか量とか、息遣いとか流れ方とかが変わるのは、きっと間違いない。

 だから、文章の質を変えたかったら、道具を変えてみるっていうのは、面白いかもしれない。僕はいま大抵、紙の上でアイデアを練ったら、文章はキーボードで直接タイプするけど、高校生の頃は一度紙に全部作文した後にワープロで微調整だけしていた。昔のやり方に戻したら、高校生ぐらいの頃の作文みたいな記事ができたりするかも。今度やってみよう。

 それはさておいて、とにかく。
 もとの用途から遠く離れた作業をその道具にさせてはいけない。それが今回の教訓。


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