笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

消しゴムハンコ


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 図書館で棚に並んだ本の背表紙を眺めながら歩いていたら、消しゴムハンコの作り方の本を見つけた。工作好きの娘が興味をもつかと思い、借りて帰ったら、案の定、娘はくいついた。次の日、ダイソーで袋入りの消しゴムと彫刻刀、スタンプ台を買い、娘と一緒に消しゴムを小刀で掘り始めた。
 これが、簡単に見えて中々難しく、そして、べらぼうに楽しい。
 寝る前の30分、僕と娘は彫刻刀とカッターナイフで消しゴムを削っている。まずメモ用紙に濃いめの鉛筆で図案を描き、それを水洗いした消しゴムに押しつけて転写する。あとは、図案の白抜きにしたい部分を刃物で削り取っていくだけ。
 簡単な図案なら、すぐにカタチにできる。しかし、少し入り組んだ図案や文字を彫ろうとすると、急に難しくなる。ナンシー関さんの作品はスゴかったんだなあなんて思いながら、しばし集中タイム。掘り上がったら、すぐにスタンプ台にのせ、インクをつけて紙に置く。うまくいくこともあれば、思ったのと全然違う仕上がりのこともあるが、成功失敗のどちらにしてもこの瞬間が楽しい。クセになる。

 何事につけても飽きっぽい娘も、よく続けている。30分くらいで終わるのがちょうどいいのかもしれない。危なっかしい手つきで刃物をこねまわしているのを見ているのはハラハラするが、日常の中で刃物を扱う経験はどんどん減っているから、いい経験にはなるだろうと腹をくくって見守っている。僕が子どもの頃は、もう電動鉛筆削りが普及していたけど、実家にはなぜか肥後守があって、よく自分の手で鉛筆を削ったものだ。あれは、刃の角度と力加減が大事。そういうのって実際に使ってみないと覚えられない。経験がすべてだ。
 ICTだか何だか知らないが、近頃はコンピュータで済ませる事柄が増える一方で、手仕事が減っている。これって実は、けっこう危機的なことなんじゃないだろうか。娘にはきちんと手を使うことを覚えさせたい。自分の体を隅々までコントロールできるようになっておくことは大事なことだ。僕はそう信じている。

断酒


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 半月ほど断酒している。
 いつもは一日一合の晩酌を楽しんでいるのだけど、先月末にひどい頭痛がきて、その夜はアルコールを抜いた。僕は季節性の頭痛持ちで、季節の変わり目にはかならず頭が痛む日がある。いつもなら一日我慢すれば治るのだが、今回の頭痛はちょっと長くて、三日ぐらい調子がもどらなかった。酒も三日やめた。
 頭痛がおさまってまた飲もうかと酒瓶に延ばしかけた手を僕は止めた。去年の健康診断で肝臓の数値に△がついたのを思い出したのだ。肝臓の数値は○のこともあれば△のこともある、という年が数年続いている。目の前にある酒瓶は、まだ封を切っていない。栓を抜いたらまた飲み続けるだろう。
 ちょっとやめてみようかな、という気になった。今すぐ酒を辞めなければならないほど肝臓が悪いわけじゃないが、少し労ってやった方がいいのは確かだ。若い頃、僕はこの腹の中のレバーにかなり負荷をかけていたから、そのツケがきているのかも知れない。何せ、ストレートのウイスキーをビールのチェイサーで流し込んでいたから。
 酒をやめることに抵抗はない。コーヒーをやめろと言われたらちょっと辛いが、酒にはさほど執着がないのだ。頭痛はとっくに治ったけど、春風の吹いた日から半月ほど酒瓶を傾けていない。沈黙の臓器が喜んでいる声は聞こえないけど、体には変化が起こった。

 酒をやめて一週間ぐらいしたある日、妻が「痩せたよね?」と首をかしげた。そう、僕は痩せた。体重計には乗っていないので具体的にどれくらい減量したかは分からないけど、多分、2、3キロ落ちた。腹囲は明らかに縮んでいる。ベルトの穴がひとつ奥になった。
 酒を飲まなくなったこと以外に、生活習慣の変化は一切ない。一日にたった一合の晩酌をやめるだけでこんなに痩せるのかと驚いた。あのグラス一杯の甘露が、一体どれくらいのカロリーを含んでいるのだろう。おそろしい。
 妻に指摘されてからさらに一週間、飲まずに過ごした。腹回りの贅肉は見た目にはっきり分かるほど落ちている。横っ腹はまだ少したるんでいるが、へそ回りは確実に平たくなった。散歩をすると、体の取り回しの軽さに驚く。

 実は、断酒をするのはこれが初めてではない。数年前にも一度、二ヶ月ぐらい酒をやめてみたことがある。そのときも、特別なきっかけもなく、「ちょっとやめてみようか」とプチ断酒のつもりで初めた。そのときもやっぱり痩せた。体重がみるみる落ちるのが面白くて、一週間ぐらいの断酒のつもりが、気がつけば二ヶ月もやめていた。
 そのときは、5キロぐらい体重が落ちて、そこで下落が止まった。そのまま酒をやめていてもよかったのだけど、また飲み始めたのには理由がある。体重が減ったこと自体はいいのだが、そのとき、同時にえらく疲れやすくなってしまったのだ。スタミナが落ちたと言えばいいのだろうか。仕事や生活をしていて、以前ならもうひとふんばりできたところで、頑張りがきかない。これがけっこう困るのだ。酒をやめて体重が減ったこと以外に変化はなかったから、原因ははっきりしている。そういうわけでまた晩酌を始めた。飲み始めるとするすると体重は元にもどった。体調も元通り。

 バランスがいいのは今ぐらい、つまり3キロ減ぐらいの体重なんだと思う。5キロ落とすと、またあのときみたいにスタミナ不足になるだろう。今ぐらいの体重をキープできるいい方法はなにかないかな。そう考えて、普段より少し食事の量を増やしたり間食をしたりしてみているのだけど、どうも体重は落ち続けているように感じる。難しいものだ。
 でもまあ、肝臓をリフレッシュしなければならないタイミングでもあるし、もう少し酒はやめたままでいよう。痩せすぎたら、また飲めばいい。
 痩せてみて、体の取り回しが軽いこと以外に、もうひとつ、いいことがある。若い頃に買ったスリムめのスーツが着られるようになった。痩せる前にも着られないことはなかったのだけど、ウェストが無理なくはいるようになったのだ。息苦しくない。うん、やっぱり今ぐらいの体格がちょうどいいな。

 万事、過ぎたるは猶及ばざるが如し。普段飲み過ぎているように感じたことはないが、いいいい機会だ、少し調節してみよう。

市バス


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 僕は電車では行きにくい場所を目指す時、駅から多少遠くてもたいてい徒歩で移動するのだけど、雨の日は例外だ。冷たい春一番が神戸の街を吹き抜けた雨の日、僕は市バスに乗った。
 パンデミック以降、路線バスは敬遠していたのだけど、バスで感染が起こったなんて話は去年の春の、本当にパンデミックの最初の頃に報道があったのを最後に、あとは聞いていない。ちょっと不安はあったけれど、何せ雨風のひどい日だったので、僕はバス停に立った。すでに数人がバスを待っていた。しばらくすると、見慣れた緑色の車体が灰色の霞の向こうから這い出してきた。
 神戸の市営バスの塗装は、昔からグリーンだ。昭和の中頃に市電が廃され、その路線があった道をなぞるように走る市バス。僕は市電を知らない。僕が生まれる少し前に廃線になった。僕が小さな頃の市営バスのグリーンは、今みたいな明るい黄緑ではなくて、椿の葉のように濃い緑だったような気がする。
 僕はあまり神戸の市バスを使わない。別に特別な理由があるわけじゃなくて、ただ単に使う用事がないだけだ。子どもの頃にも乗った記憶はほとんどない。

 でも、ほんの少しの間だけ、習い事に行くのにバスを使っていたことを覚えている。何の習い事だったのか、いつ頃のことだったのか、それは思い出せないのだけど、そこへバスで通っていたことだけは確かだと断言できる。なぜかというと、その習い事の帰り、僕はバスを乗り過ごしたからだ。
 小学校の中学年以降のことはかなりはっきり思い出せるから、それよりも前だろう。でも幼稚園児をひとりでバスに乗せるとは思えないから、多分、小学校低学年だったんじゃないかな。季節は冬だった。
 僕は、ぼーっとするのが好きな子どもだった。ぼーっとするのは今でも好きだ。何かを考えたり想像したりするわけでもなく、目を開けたまま眠っているかのように、脳みそのスイッチをオフにする。多分そのときも、バスに乗りながらぼんやりしていたはずだ。気がついた時には、自分が降りなければいけない自宅近くのバス停にバスが止まっていて、立ち上がろうと座席から腰を浮かせた時に、ぷしゅーっと降車用の扉が閉まった。
 頭の中が真っ白になった。そう、頭の中が真っ白になるっていう事態は、本当におこるのだ。目の前にある問題を解決するための行動の選択肢リストがすべて空欄だった時、頭の中は真っ白になる。耳の中で「ちーん」と音がする。
 しかし、とにかくすぐに下車しなければいけないことだけは分かっていた。車窓は、どんどん見慣れない景色に移り変わっていく。叫びだしたいのを何とかこらえながら、僕は次の駅を待った。混んだ車内の人いきれが息苦しかった。そして、やっとバスが止まって、運転手に「君、乗り過ごしただろ」なんて怒られるんじゃないかとどきどきしながら逃げるように降車した。
 降り立った場所は、全然知らない場所だった。でも幸いなことに、バス道はまっすぐで、バスが走り去っていく方とは反対に進めば必ずいつもの駅にたどり着くだろう事は想像できた。僕はどんどん暮れていく澄んだ桔梗色の冬空に急かされて、とにかく歩けば何とかなるはずだと考えながら、歩いた。小学校の校区の境目にある馴染みの文房具屋が見えたときはほっとした。
 今でもバスに乗ると、あのときのことを時々思い出す。バスの中の人いきれや、桔梗色の冬空や、馴染みの文房具屋なんかを思い出す。その文房具屋、バスを乗り過ごしたあの日の頃にはまだ馴染みじゃなかったけど、もう少し大きくなって自分で買い物ができるようになってからは、よくノートなんかを買いに行った。十年前、僕が神戸に戻ってきてすぐの頃はまだ商売していた。しかし、数年前に閉店した。

 神戸は僕にとって、思い出の堆積した街だ。嫌いじゃないが、ちょっと息苦しく感じる時もある。雨の日のバスの車内みたいに。雨に濡れたバスの窓は、あいまいな記憶を写す鏡なのかもしれない。


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