笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

どん底

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 ゴールデンウィークに、古い友だちに会った。三宮で昼呑みして、それから散歩。ふたりとも、四十代半ばのおっさんだ。新港のあたりをぐるりと歩くと、ちょっと疲れた。で、お茶にしようということになったのだけど、休日ということでどこの喫茶店も満席。どこなら座れるだろうかとさまよい歩いてたどりついたのは、さんちかにある「どん底」だった。
 このお店、いつからあるんだろう。僕が三宮界隈を徘徊するようになった高校生の頃にはもうあったのを記憶している。だから、三十年くらいはご商売なさっているはず。でも、一度も入ったことはない。僕の友人は、いつだったか忘れたけど一度入ったと言っている。じゃあ、入ってみるか。
 薄暗い店内に足を踏み入れるなり、強烈な煙草の匂いにおそわれる。どうやら、喫煙OKのお店らしい。おおお、すげえな、この匂い。久しぶりに、濃いたばこの匂い嗅いだわ。近頃はどこの店も喫煙NGになってしまって、たばこの匂いがしなくなった。だから、ちょっと懐かしい。僕が学生だった頃までは、個人経営の喫茶店ってこういう匂いがしたよね。
 たばこと珈琲が混じったこの匂い、子どもだった頃は好きじゃなかったけど、今はそう嫌じゃない。場末って感じがする。それが、いい。
 注文は、入店時にカウンターで済ませてから着席するタイプ。普段はホットしか頼まないのだけど、歩き疲れていたので、アイスコーヒーにする。座ってしばらくするとご主人がもってきてくれた。昭和のアイスコーヒーって感じ。アイコーっていいたい。アイコーにはシロップとホワイトをたっぷり入れたいよね。で、真っ白になるくらいホワイトを入れてストローで飲む。うん、うまい。
 近頃は、昭和レトロな喫茶店が流行なんだとか。「どん底」も昭和レトロなお店のうちに入るだろうか。入るだろう。いやしかし、これはもう、昭和レトロっていうか、昭和そのものだな。昭和レトロなお店って、そうは言っても令和のお店だから、こんなにたばこでモクモクしてないもの。「どん底」は、昭和リアルだ。
 僕は昭和生まれの人間だ。昭和っていう時代が、そんなにいいものだったのかどうか、僕にはよくわからない。長かった昭和時代の、イケイケだった中期はいい時代だったのかもしれない。でも僕の子ども時代にはもう、バブルのはじける音が聞こえていた。ジュリ扇もって踊り狂う東京のおねーちゃんたちをブラウン管のテレビで見て、あれは何かのギャグだと思っていた。昭和リアルは、たばこと珈琲が混じった匂いがして、薄暗くて、アイコーなんだ。そして、暗がりのなかで明滅するインベーダーと静かに戦うのだ。

 「どん底」を出た後、本屋に寄って頼まれた買い物をしてから、友人とは別れて、歩いて帰宅した。ひとりでずんずん歩いていると、脚がつった。慢性疲労症候群になってから、少し歩きすぎると必ず脚がつる。膝裏の筋が、ピッと張るのだ。歩けないほど痛むわけではないが、脚が伸びないので歩きにくい。脚をひきずりながら帰った。