笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

どーなるニッポンのブカツ。

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死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

「死んだ男の残したものは」 「うたⅡ(SCHOTT)」より 谷川俊太郎(詩) 武満徹(曲)

 

 僕が吹奏楽部の外部指導員などということをしているので、まだ小学生の娘はクラブ活動も経験していないのに、「中学校に上がったら部活なにしようかなあ?」などと悩んでいる。運動は苦手なので文化部がいいようだ。文化部であれば、どこの中学校にもあるのは吹奏楽部と美術部だろう、みたいな話をしたら、絵を描くのもピアノを弾くのもすきな娘は頭を抱え込んでいた。決めきれないらしい。まあ、中学校にあがるまでまだ何年もあるから、好きなだけ悩めばいい。

 しかし、娘が進学する頃に、その部活動自体があるのかどうか、ちょっと不安になる話題を耳にした。
 本当かどうか知らないが、神戸市は来年度から運動部の土日の活動を学校外部のボランティアや地域のスポーツクラブに委託するらしい。この文言から察するに、運動部に関しては、平日は学校の職員(つまり先生)が指導するけど土日は出勤せず、休日の活動は学校の職員でない誰かに任せるってことか。
 え、そんなんでいいの? 大丈夫なん?
 この話を、今おうかがいしている中学校の先生と雑談している時に話題にしたら、「そんな話があるのは知ってるけど、具体的にどうなるかは全然知らされてない」みたいな感じで返事が返ってきた。
 え、もう来年の話ですけど?
 学校に出入りしている僕は、先生たちが色々なことにとても気を遣いながら、責任をもって子どもたちを預かってくれていることを知っている。授業や評価だけでなく、生徒個々の事情にあわせた生活上の配慮や、安全管理(防災・防犯・健康)まで、先生の両肩にのしかかるものは多く、重く、そして多様だ。あれだけのことを限られた人数しかいない教職員が(教職員の配置数は法律で決まっている)引き受けてくれているのは、もう本当に奇跡だとしか思えない。
 まあ、だからこそ教職員の負担軽減が必要なのであり、そのために部活動の指導を外部に委託しようという施策なのだろう。それは、いい。むしろやるべきだ。
 でもね、やるからにはちゃんとやって欲しいんだ。僕も数年後には娘を中学校にあずけるのだから、いい加減なことでは困る。

 ちゃんとしてほしいこととの例をあげると。
 学校と外部指導者で、部活動の目標や指導の方法は共有されていて、一貫性のある活動が実施できること。
 部活動を安全かつ円滑に実施するための最低限の生徒情報が外部指導者と共有され、またその情報が適切に保護できること。
 災害、事故、怪我などがあった場合に、適切な対応が行われ、その場合の方法や責任の所在が明確であること。
 などなど。

 要するにね、子どもが安全に楽しく部活動を楽しめればそれでいいんだ。でも、現場に出入りしている僕は、現在の部活動が先生たちの繊細かつ膨大な努力によって成立していることを知っている。仮に土日の活動を外部委託するとして、市内すべての中学生が同じサービスを享受できるように適切な人材を確保できるのかな? 
 できるなら、それでいい。ぜひやるべきだ。
 でね、ところでさ、運動部はそれでいいじゃん? あの・・・文化部はどうすんの?
 僕は吹奏楽部に関わっているけれど、当然吹奏楽部にも顧問の先生がいて、運動部の先生たちと同じように、日中は教科指導をし、夕方以降の時間と休日を部活の指導にあてている。負担は同じだ。その、吹奏楽部の先生の仕事を減らしてはくれないんですか? 減らさないんだとしたら、なんで?
 まだ体制が整わないとか、実は運動部については人材の確保ができているけど吹奏楽の指導ができる人がまだ集められないとか、事情があるのかもしれない。もしそういうことなら、早く体制を整えて欲しいし、人材確保にも努めてほしい。時間がかかってもいいから、必ずやってほしいと思う。
 でね。でねでね、もし、もしもよ? 体制が整わなかったら? 人材が集められなかったら? 「これ無理ゲー」って教委が諦めたら? 僕は密かに、これを恐れている。

 横浜にいた頃に関わっていた、小学校の特設クラブのブラスバンドがあるのだけれど、先だってきまぐれに「今どうなってるのかな?」とグーグルさんに聞いてみたら、どうやら学校組織から切り離されてしまったらしい。で、パージされた後に有志の力で後援会ができて、まあコロナのことなんかもあったりするのだろうけど、細々活動を続けているようだ。
 この件、僕としてはすごくショックだった。そんなことがあるのか、と。大きなバンドだったし、熱心に活動していたし、子どもたちも楽しんで楽器を吹いていたのにな。まさかそんなことになるとは思っていなかった。練習場所はどうしているのだろう、楽器はどうなっているのだろう。ライブラリーも充実していたけど、あの楽譜、散逸してないだろうか。心配だ。

 中学校なら大抵どこでも、当たり前に存在している吹奏楽部だが、ひとつのバンドがそこにあるためには、楽器や楽譜などの資本の蓄積、演奏が可能になるまでの技術と伝統の積み上げが必要だ。資本と技術と伝統は、音楽の現場で維持される。その継承が一旦途切れると、復活は困難だ。それこそ、無理ゲーである。
 まさかとは思うけど、ひょっとしてそれ狙ってる? なんて勘ぐるのは、考えすぎだろうか。確かに、吹奏楽部の運営は色々大変だ。でも、吹奏楽があるからこそ成り立っている業界がたくさんあって、もしなくなってしまったら、業界はまるごとひっくり返るだろう。それだけじゃない。いわゆるクラシックという音楽の消費を支えている人たちの結構な割合が、吹奏楽を経験した人たちなのは間違いなくて、その消費者層への人口の供給が大幅に縮小するのも確実だ。これは日本社会の、大きな文化的後退につながるだろう。
 豊かな文化を育むべき教育の現場に対して、まさかそんな決断がされることはなかろうと、今のところ僕は信じている。でもね・・・横浜の、僕と関わりのあったバンドの現状を知った今、ちょっと信じ切れないな、とも感じている。

 僕の望むことは、娘が中学に上がった時に、娘がチャレンジしてみたいと思えるような部活の選択肢があること、そして、簡素化されていてもいいからちゃんと楽しい部活ライフを送ることができる体制が整っていること。そんなに贅沢は言っていないつもりだ。当たり前のことを、当たり前の範囲内でやってくれればいい。それが無理だって言うんなら、日本の公教育の未来は暗いよなあ。
 世界情勢を見て色々思うことはあるけれど、それでもやっぱり、ミサイルを一本買うよりは、楽器を一本買った方がいいし、兵士を一人雇うよりは、教師を一人雇った方がいい。そしたら、生徒も先生もみんな、ハッピーハッピー。でしょ?

 誰かの幸せのために誰かが泣いてるってのは、当然よくない。だから改善する。それはいいことだ。けど、改善の仕方は色々ある。ぜひ、誰もが幸せになる方法を考えて、実行してほしいと、僕は願う。