笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

Life Wear /今ならチノパンだってはける

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 人生とは、晴れの日だけでなく、雨の日も、どしゃぶりの日も、寒い日もある。そしてまた、雨の日やどしゃぶりの日や寒い日にだって、晴れの日に負けない美しさがある。どんなに悲しい日にも、明日という希望がある。

「着るもののきほん100」 松浦弥太郎 小学館

 

 予約していた本をとりに図書館に行ったら、お薦めの本のコーナーに「着るもののきほん100」という本がおいてあったので手に取ってみた。パラパラとページをめくると、写真がいくつか目にとまって、なんかいい感じだと思ったので借りてみた。書き手は松浦弥太郎・・・やたろう、さんと読むのだろうか。
 内容は、ユニクロの服とからめて、連続するショートストーリーを展開していくお話。ストーリー自体の中にユニクロがどうという話題は出てこないけど、100あるショートストーリーのひとつひとつに必ずキーアイテムになる服が登場する。ユニクロアメリカントラッドも僕は好きなので、楽しく読めた。

 僕は普段こういう、サクサクしたビスケットみたいな食感と味わいの本を全然読まない。でも、たまに読むと、いいなと思う。集中して文意と行間を読み取り、著者の表現と自分の思考を攪拌しながらイメージを立ち上げていくような文章とは違うタイプ。グラノーラのように、風味と食感とのどごしを味わう物語。リラックスして読める。いい。

 少し前まで僕は、こういうスナック的な文章が、全然読めなかった。読めなかったというより、楽しめなかった、と言えばいいだろうか。楽しめないから読まなかった。そういう頃があった。その時僕が読んでいた本はといえば、ハイデガーフッサールニーチェサルトルバタイユ、などなど。現象学が導く無限遠の虚無に絶望する快感に身悶えしたり、実存主義のタフさに疲れ果てたりしていた。つまり、僕の人生の中で、あまり楽しくない時代だった。僕は、懐疑主義の地平線上に立って、前にも後ろにも進めずにいた。そして、その楽しくなさが好きだった。ヘンなの、と思われるかもしれないが、あの息苦しさの中には不思議とマゾヒスティックな喜びがあったものだ。
 あの頃に比べれば今は、リラックスできてると感じる。苦しいことを、苦しいままに受け入れる覚悟ができた、なんて言うとカッコつけすぎだけど、諦めがついた、とか、考えるのがめんどくさくなった、ってことかな。
 すると不思議に、手に取る本も変わる。筒井康隆高橋源一郎村上春樹森見登美彦。僕は、難解な哲学の本は本棚の奧にしまい込んで、もう少し気楽で、救いのある本を選ぶようになった。
 本だけじゃない。気分や考え方が変わると、着る服も変わる。

 僕は、高校生ぐらいの頃からずっと、チノパンが嫌いで、普段着にはジーンズばかり履いてきた。スーツで行くほどではないけどジーンズでは行けない、という用事をこなすためだけに、一応、チノパンを持ってはいたけれど、ほとんど履かなかった。チノパンの柔らかい肌触りが、なんとなく軟弱な感じがして嫌だったのだ。
 その、数十年にわたって受け入れられなかったチノパンを、僕は数年前に受け入れることにした。別にきっかけがあったわけじゃないが、何となく・・・そう何となく、「そろそろ、チノパンもいいんじゃん?」って思ったんだ。
 表向きは、写真撮影の仕事を受けたり中学校に吹奏楽を教えに行ったりするのに、ジーンズではちょっとなあと考えた、ってことにしている。でも本当は、そのちょっと前から、街中で見かけるストレッチ素材のカラーパンツが気になっていて、それまで頑なに守ってきた「俺、デニム派」というこだわりが揺らいでいたのだった。だって、色鮮やかだし、履き心地よさそうなんだもん。こだわりを守り抜くことに疲れ始めてたってのも、ある。
 もちろん、今でもデニムは好きだ。でも、これまで拒否してきたチノパンを、その同列に並べた。チノパン、肌触りがデニムより柔らかくて軽い。ラクチンだ。これはこれでいい。なんで今まで履かなかったんだろう。僕はバカだな。そういう訳で、今ではリラックスした気分でいたい時はチノパンを選ぶようになった。

 去年体調を崩し、その原因は結局分からず、今は慢性疲労症候群という症名を背負って生きている。年齢相応の仕事ができないことにしばらく悩んでいたけれど、この頃は諦めて、「ま、いっか」と何もできない自分を受け入れることにした。正直、色々と辛いことは確かだが、悶々としても何の解決にもならない。悩んで消耗しても無駄だと気づいて、意味なく悩むことはやめると決めた。あーいや違うな、悩むのをやめるというよりは、悩みを無視することにした。そして、そういうやり方で生きる自分を受け入れた。
 楽をすることは、罪ではないはず。
 グラノーラみたいなお話を受け入れたり、チノパンをはいたり、悩みに取り合わないようにしたりすることは、簡単ではなかったけれど、変な言い方だが、それだって努力すれば可能なのだ。心のパラダイムシフトである。立ち位置の変更は、概ね、成功したと思っている。

 慢性疲労症候群というやつ、症状の解消まで何年もかかることもあるらしい。発症に気づいてそろそろ一年が経とうとしていて、多少緩解はしているものの根本的はまだ全然治癒しないことに、時々絶望したりもするけれど、とにかくやれることをやるだけさ。そのためには少しでも身軽な方がいい。体も、心もね。そう思いつつ、今日はユニクロのチノパンに脚を通す。ストレッチのきいた、ラクチンなチノパンに。