笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

入院生活


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 副腎という臓器の機能不全が疑われ、その検査のために入院している。
 入院患者というのは、暇なのか忙しいのかよく分からない。まるっきり暇のように感じることもあれば、ちょいちょい採血やら検査やらに呼ばれて多忙のように思うこともある。復帰までに仕上げておいてほしいと職場の上司に頼まれた仕事をパソコンでやりながら検査をうけているが、集中しかかったときに「血圧はからせてください」と看護師に呼ばれたり、「明日の検査の説明をします」とドクターに声をかけられたりする。仕事はなかなか進まない。

 初日は、一番暇だった。
 子どもを学校や幼稚園に送り出した後、妻の運転で病院に送ってもらい、入院の手続き。部屋が決まって、入院生活のレクチャーを受ける。これで午前中はおしまい。午後からは「蓄尿検査をしてください」と指示され、ひたすら自分の尿をタンクにためていく。それだけ。確かに自宅では難しいかもしれないが、何というか、入院までしてするような検査でもないような気もする。初日はそれで終わり。

 病室は、カーテン仕切りの四人部屋だ。つまり、一番廉価な部屋。しかし、フェリーの二等の雑魚寝に何の不満も感じない僕には、豪華にさえ思える。しかも運良く窓側をあてがってもらった。窓は、コロナのこともあって開けっぱなしでいいと言われたので、夜も少し開けたままにしている。気持ちいい。
 食事は頼まなくても勝手に出てくる。個室のシャワーが日中であればいつでも使える。フロアにコインランドリーがあり、いつでも洗濯ができる。ナースステーションで鳴っている何かの電子音が、多少耳障りなことを除けば、ユースホステルの相部屋に泊まっているのと変わりないかもしれない。
 フロアにはレクルームがあって、コロナでなければ患者同士で会話を楽しんだり読書したりできるらしいのだけど、今は閉鎖されている。時々誰かが電話をしている以外は閑散としていて、静かだ。僕は検査の合間、ここ端末をもちこんで仕事をしている。病室でキーボードを叩くのは迷惑かもしれないと思ったからだ。
 もともと、一所にじっとしているのが得意な方ではない。運動不足を避けるためにも、フロアの方々をほっつき歩いたり、あちこちの椅子に座って人通りを眺めたりしている。看護師やドクターも、そういう僕の性癖をさっと飲み込んでくれて、わざわざ僕のいるところまで出向いて検温したり病状の聞き取りをしてくれたりする。有り難い。
 検査結果への影響を考慮してか、近所の心療内科でもらった抗うつ剤はストップすることにした。薬は勝手に飲まないように取り上げられた。いや、やめろって言われればちゃんとやめるよ、なんて心中口をとがらせたけど、勝手に飲んでしまうような患者もいるのかもしれない。

 二日目。
 午前中は蓄尿を継続しつつ、エコー、レントゲン、心電図のデータをとる。エコーは、妻が妊娠しているときに、妻のお腹の中をチェックするのを何度か見ていたが、自分がされるのは初めてだ。あのぬるぬるのゼリーはくすぐったそうだと思って覚悟していたのだけど、そうでもなかった。かわりに、保温されているゼリーの暖かさにびっくりした。あれは冷たいものだとばかり思っていた。
 検査をうけるような人の副腎は腫れているものらしいのだが、僕の副腎は正常サイズだったようで、エコー技師の看護師は僕の副腎を見つけるのに苦労していた。ごめんなさい。
 昼食後に、蓄尿の終了を告げられる。しばらくしてドクターがやってきて、検査の項目と内容の変更を説明してくれた。入院が一日延びた。それから心療内科を受診。精神科的な診察をうける。心療内科の受診が済んだ後にもう一度ドクターがやってきて、もうひとつ検査が増えることを告げられる。入院ももう一日延長。最初は二泊の予定が、入院前に三泊になり、最終的には五泊になった。

 三日目。
 いよいよ副腎機能の検査が始まる。
 早朝、朝食を摂らずに安静の状態のまま、副腎を刺激する薬剤を体に入れて、副腎機能をテストする。ACTH負荷試験というのだそうだ。薬剤を入れられた瞬間、肋骨の下あたり、腹と胸との境目あたりに、今まで感じたことのないような熱感を覚えた。なんだこれ? ドクターに「気分は?」と訪ねられたが、いいとも悪いとも言えない。何せ人生で初めて感じる熱感なので、ただただ不安だ。その後、30分おきに二度採血される。最初に感じた熱感は、徐々に収まって消えた。検査は一時間で終了したが、午前いっぱい、なぜかやたらと精神的に不安定になり、涙が出続ける。二度目の、なんだこれ? 抗うつ剤離脱症状かな? 午後になると、気持ちは落ち着いた。変なの。
 夕方には頭部MRIMRIは一度受けたことがある。あの機械はピーだのブーだのガガガガガだの、とにかくうるさい。音楽の流れるイヤーパッドで耳を覆われるが、やっぱりうるさい。撮影は20分かかった。

 副腎の負荷試験のために腕にルートをつけられたが、これがとにかく邪魔だった。それに、なんだかチクチクする感触がある。検査の度にルートを差し込まれるのと、つけっぱなしにする煩わしさと、どっちかマシか考えて、ルートは外してもらうことにした。そうすると、毎回チクッと刺されなければならないが、三日間ずっとこの邪魔な管をつけっぱなしにするよりはいい気がした。ドクターには毎回ルートをつける手間をかけなければいけなくて申し訳ない。でもね、やっぱり邪魔なんだもん。ごめんね。

 四日目。
 インスリン負荷試験を行う。手順は副腎機能の検査と変わりない。薬剤を体に入れ、定期的に採血して数値の変化をみる。ドクターからは「場合によっては緊急中止もありえる、ちょっとリスクのある試験です」と脅され、なんとなく怖い。インスリンを体に入れると、まず手が冷たくなったような気がし、少し呼吸が乱れる。それから徐々に、体が重くなっていく感じがする。
 この体の重さ、仕事をしている時の午後に感じていた疲労感や倦怠感に似ている。試験開始から三十分後に最も血糖値が下がるらしく、それまでは約10分おきに指先から少量の血を採って血糖値のチェックが行われた。血糖値の下限値は47だった。
 この日は一日中気分が落ち着かず、この記録もつけずに過ごした。やっぱり本当に、クリニックでもらっていた抗うつ剤をやめた離脱症状だろうか。昨日の午前中と同じように、むやみに涙が出て、とにかく不安を感じる。こんなことがおこるなら薬なんてもらうんじゃなかった、などと後悔する。

 この日は午後に予定がなかった。3時頃、無性に腹が減ったので、病院の売店で菓子パンを買って食べた。普段は甘いものをあまり食べないのだけど、なんだか食べたくなったのだ。食べてみると、やたらにおいしく感じた。そして食べた後は、なんだかとても気分が落ち着いた。食は大事だ。甘味は偉大だ。インスリン注射による低血糖抗うつ剤離脱症状も吹き飛ばす。ただ、二つも食べてしまったので、夕食の時に腹が減らず困ったけど。

 五日目。最後の検査だ。
 三度目のルート挿入を行い、下垂体に対する負荷試験を行う。ドクターからは「稀に昏睡状態になる」と恐ろしいことを言われたが、もうここまできたら、気にしても仕方がない。薬液を注入し、定期的に採血。対して体調の変化もなく、無事終了した。
 この朝の検査が続いた三日間、検査前には食事ができなかったので、朝食はいつも10時頃に摂った。すると、昼食まであまり間があかず、食欲がわかない。検査もしんどいが、この検査後の昼飯もけっこう辛かった。それでも、食べなければ体力がもたないような気がして、残さず食べきった。ちょっと胃もたれがした。
 気分は、昨日までに比べるとかなり落ち着いた。意味もなく涙が出ることもなくなった。やっぱり抗うつ剤離脱症状だったのかもしれない。この日記をつけようという気持ちも復活して、三日目以降の記録をこの日の夜に書いた。やれやれ。

 検査結果が出るのは来週になる。本来は検査結果を待ち、診断を下してから治療開始となるが、いらちの僕としては一刻も早く体調を改善したい。副腎から出るべきステロイドが不足していることは以前の血液検査から明らかだったので、とにかくそのステロイドを少し補う薬を飲み始めることにした。
 最初の服用はこの日の朝食後だった。一応、経過観察したいということでこの日も入院のまま。問題なければ翌日退院となる。

 二日目に受診した心療内科の先生が、この日にもう一度来るように指示していたので、夕方に診察室を訪れる。心療内科の治療の継続の仕方を相談する。どうも、僕が自分で決めるべきことらしいのだけど、そんなこと言われたって僕にはよく分からない。分からないから相談に来ているのに、分からないことを自分で決めろって言われてもなあ。なんかモヤモヤしながら診察室を出た。「とりあえず来週の外来にもう一度おいでよ」みたいなことを言われ、とりあえず予約はしたけど、やっぱりやめようかな。

 で、ついに六日目。
 服用している薬が効いているのか効いていないのか、あまり実感はないけど、副作用みたいなものは出なかったので、問題はないのだろう。退院する。
 コロナの緊急自体宣言中の入院だった。そのせいで、僕たち入院患者は一切の面会を禁止されていた。入院中に何がキツかったって、家族の顔が見られないことほどキツいことはない。こういう状況だから、入院患者同士の会話も控えざるをえない。ただひたすらに病んだ自分の心身と孤独に向き合うというこの状況は、本当に辛かった。ものすごく寂しかった。僕は、ひとりで過ごす時間を決して嫌いではないけど、心身が弱っているときはやっぱり、気を紛らわせてくれる話し相手が必要だ。

 さて、あとは検査結果だ。悪い病気だと宣告されるのも嫌だけど、とにかくこの不調の原因がはっきりするといいな。頑張って検査したのだから、なにがしかの戦果がほしい。