笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

カメラ


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「我々の調査によれば、それはこの六ヵ月以内に、完全なアマチュアによって撮られた写真だ。カメラは安物のポケットサイズだ。撮ったのは君じゃない。君はニコンの一眼レフを持っているし、もっとうまく撮る。この五年間は北海道に行ってない。そうだね?」

 

羊をめぐる冒険」 村上春樹 講談社

 

 写真を撮るのは好きだ。子どもができてから撮るようになった。それより前は、ほとんど撮らなかったし、撮られるのも好きじゃなかった。今でも撮られるのはあまり得意ではない。けど、以前は記録より記憶、なんて思っていたけど、記録が記憶以上のものを表現することがあることに気づいてからは、いろいろなものを撮るようになった。
 子育て世代の僕たちにとって、カメラの出番と言えば、子どもの学校行事だ。望遠の焦点域が必要になるので、どうしてもスマホでは撮れないから、カメラを持ち出すことになる。周りを見回してみると、僕の長女が幼稚園だったころにはまだレフ機が多かったが、近頃はミラーレス機が増えた。ミラーレスは、レフ機と同じセンサーサイズでも一回り小さくて取り回しがいい。とは言っても、APS-C以上のセンサーサイズをもつ機体は、それなりの大きさがある。顔の横ににゅーっとフードが伸びてくると、思わず身を引く。フルサイズのどでかいレフ機を首から下げているおじいちゃんもいて、長玉をぶんぶん振り回しているのを見ると圧倒されてしまう。

 かく言う僕も、今年の初めに清水の舞台から大ジャンプを決めて、フルサイズのミラーレスを導入した。それまで使っていたエントリーグレードのAPS-C機とは何もかも違う。撮っていて気持ちがいい。かなりの出費だったが、買ってよかったと思う。ただ、大きくて重いということと、その大きさのためにとても目立つということだけは、フルサイズ機のマイナスポイントだ。特に望遠レンズをつけたときの巨大さと言ったら、ギャング映画に出てくるサブマシンガンほどもある。構えた姿は、凶悪な政治犯の籠城する建物に突入する特殊部隊のよう。あの格好でうろうろすると、とにかく、目立つ。「いいカメラですね」なんて声をかけてくる人もいて、嬉しいのだけど、なるべく目立たないようにしたいと思っている僕としては冷や汗もかいた。
 カメラというのは、なかなかに威圧感のあるマシンだ。近頃は中高年が趣味で写真を撮るのが流行らしく、腰の曲がった小柄な年配の女性がニコンの巨大なレフ機を首から提げていたりして、道ばたでばったり出くわすとぎょっとする。時々、新聞の取材か何かで何台ものキヤノンをぶら下げた古武士みたいな記者が歩いていると、思わず道を譲ってしまう。別に人を傷つけるものではないと知ってはいても、あの黒く塗られたマグネシウム合金のボディは、武器のような趣があって、人の警戒心を煽らずにはいられないらしい。カメラを手にした僕も、あの記者みたいに見えるのだろうか。多分、見えるのだろう。
 今朝、出勤しようと近所の住宅街を歩いていたら、空き地に木が生い茂っている一角の前で、望遠レンズをつけたレフ機を構える年配の男性がいた。一瞬、盗撮かと勘ぐった。しかし、そばを通るときにレンズの先にある茂みに目をこらすと、かわいい地域猫さんがいた。それを知ってほっとしたが、やっぱり住宅街なんかであの機械を見ると、心がざわざわする。

 写真はいい。撮るのも見るのも楽しい。何でもない住宅街の風景も、数十年後にすっかり様子が変わった後に見返せば、懐かしいものだ。すべては時とともに移り変わり、一度変化したものは二度と元には戻らない。古い写真は、古いというだけで価値があるものだと思う。それは今の僕たちが未来の誰かに残すメッセージとなり、記録以上の何か、そして記憶以上の何かさえ表現し始める。
 だからこそ、撮影の時には、「何撮ってんだ、このやろう」なんて思われたくないものだ。気をつけようと思う。ところで、ピンクで花柄の、かわいいフルサイズ機なんてないのかな? あってもいいと思うのだけど。