笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

蜂とか猪とか


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「アナフィラキシ-、アナフィ
ラキシー・・・・・・。ユダよ、怒りをしずめたまえ・・・・・・。アナフィラキシーアナフィラキシー・・・・・・。ユダの魂よ、安らかに眠りたまえ・・・・・・」

 

花とアリス殺人事件」 乙一岩井俊二(原作) 小学館

 

 夏になると、いつも子どもを遊ばせる近所の公園の植木に、蜂がたかる。巣があるのかもしれない。しかし、どこにあるのかは分からない。今まで、誰かが刺されたという話はきかないが、何となく落ち着かない。

 相手をしなければ無碍に刺してくることはないと大人は知っているから、子どもを連れてきている親の方は蜂をみかけると身を遠ざける。しかし、なぜだろう、子どもは蜂が危険な虫だと知っているのに、いや知っているからこそ、わーきゃーと騒いでわざわざちょっかいを出そうとする。恐怖は人間を攻撃的にするらしい。
 「窮鼠猫を噛む」の窮鼠みたいなもので、恐怖を感じた時の人の反応はだいたい、逃避か攻撃だ。そして、どちらかと言えば、その恐怖が極まった時の反応は、攻撃の方に出る場合が多いように感じる。いや、人間だけじゃない、蜂の方だって人を刺すのは、恐怖が極まった時だろう。

 神戸に住んでいてよく出会う、人間以外ではっきり怖い生き物と言えば、猪だ。
 日本の中堅地方都市で、街中をのうのうと猪がうろついている街はそうあるまい。しかし、考え事をしようと夜中に散歩に出ると、ウリボーを連れた猪ファミリーにしばしば出会う。神戸では結構当たり前のことである。夜闇の向こうからあの黒いカタマリがのっしのっしと現れると、ぎょっとしないわけにはいかない。
 当然だけど、恐ろしいからといって猪に飛びかかってはダメだ。だけど、背中を向けて逃げ出すのもダメ。猪の方を向いたまま、お互いに距離を保ちつつ、何事もなかったようにすれ違うのが一番いい。この時おそらく、猪も緊張しており、あちらでも人間の出方を見計らっていて、ヤバいと感じたら突進する覚悟でいる。要は、お互い様なのだ。そして、それぞれで感情のコントロールやマネージメントがきちんとできていれば、危険は避けられる。
 つまり、大人になれってことだと、僕は考えている。近頃は、東西の大国同士がえらくピリついているけど、あの人たちももうちょっと大人になれないものかなあ。目が合っただけで「ワレ、何メンチ切っとるねん」なんて因縁つけてくる昔気質のチンピラじゃあるまいし。蜂や猪の方が、まだずっと大人なんじゃないかな。