笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

花火


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 教室に戻ると純一と稔が、和弘と黒板の前でなにやら言い争っていた。
「丸だよ!」
 和弘の甲高い声が響く。和弘はクラスでいちばん勉強ができるけど、真面目なだけにすぐに熱くなる。
「平べったいんだよ、バーカ」
 何かにつけて和弘をからかう純一が小突きながら言い返している。

 

「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」

 岩井俊二(原作)/大根仁(著) 角川文庫

 

 花火にまつわる思い出のない日本人はいないんじゃないだろうか。花火はいつも、僕たちの青臭い夏の思い出の中に、輝き、轟き続けている。

 僕がまだ小学校にあがる前の頃、実家の二階から神戸港の花火が見えた。少なくとも、高く上がった大玉だけは完全に見えたと記憶している。当時はまだ神戸にも、高い建物が少なかった。今の市庁舎ができる前の話だ。
 僕も、僕の家族も、とにかく人混みが嫌いだったので、家族と表に花火を見に行った記憶はない。高校生ぐらいになると、メリケンパークまでひとりで行った。予備校時代にはバイト仲間と人混みの中に分け入って楽しんだ。横浜の大学に進学すると、サークル棟から横浜港の花火が小さく見えたので、三十秒おくれで聞こえる破裂音と蚊取り線香みたいな灯りを肴に飲み明かした。今の妻とは結婚する前、毎年花火が上がる夜にはバイクに二ケツして人混みに煩わされることなく花火が見える場所を探して横浜じゅうを走り回った。どれもいい思い出だ。

 でも、僕に一番強烈な印象を残した花火は、現実の花火ではなくて、中学生の時にテレビで観た岩井俊二の映像だった。
 当時は「世にも奇妙な物語」が一旦終わって、その後釜の番組として「if」が放送されていた。僕は中学に進学して生活サイクルがかわり、もうその枠のテレビを観なくなっていたのだけど、その放送の時は夏休みか何かで、たまたま「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」に出会ったのだった。
 もちろん、当時は岩井俊二のことも奥菜恵のことも全然知らなかったわけだけど、あの息苦しくも淡い恋を描いた夏の風景は、僕に強い印象を残した。その数年後に「スワロウテイル」が公開され、あの日観た「打ち上げ花火~」が同じ監督の作品だったと知った。それからレンタルビデオ屋に駆け込み、岩井俊二の旧作はそれぞれ二度ずつ借り、新作が封切られる度に映画館に脚を運んだ。
 「打ち上げ花火~」は2017年、アニメ作品としてリメイクされている。先だって、テレビで放送されたのを僕も観た。元の岩井俊二の作品を入口に、その後がずいぶん付け加えられている。アニメのなずなたちは中学生だが、奥菜恵のなずなは小学生の設定だった。1993年の岩井俊二を知っている僕にとっては、なずなは中学生ではなくて小学生である。これは、仕方のないことだ。


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 たいていの男子小学生がそうであるように、僕にも小学生高学年の頃、好きな同級生の女の子がいた。好きである理由は、何もなかった。背の高い女の子だった。ちょっと大人っぽく見えたのかもしれない。理由があっても、そんな程度のものだ。あの時代の恋なんて、憧れの五センチ先みたいなものだから。
 もちろん、その女の子とは何もなかった。何かをおこすやり方さえ僕は知らなかった。何年か経って高校生になり、地元の駅のホームで彼女とばったり会った時に、話の種にさえしなかった。でも、彼女を好きだったことと、偶然に再会したことだけは、強烈に覚えている。
 今彼女は、どこで何をしているだろう。幸せにしているだろうか。花火を観ると彼女のことを時々、思い出す。そして、幼かった僕の甘い胸の痛みも。


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